近頃、私の中で流動化するものが増えている。
今までの私の価値観が微妙に揺れ動き始めている。
すべてはインターネットとの出会いから始まったような気がする。
半世紀の間に培って来た世界観が、ネットによってラジカルな見直しを求められはじめているのだ。
お前が築き上げた世界はもはや通用しない、そういったメッセージがどこからか聞こえてくる。
早い話がリストラを望んでいるのである。
リストラというと、最近の日本ではもっぱら首きり、人員整理のことを指すようだが、元々はそういう意味ではない。
restructure、構成し直す、作り直すという意味である。
reconstructという言葉も使う。
こちらは、再建する、復元するというような意味である。
リストラの犠牲、なんて否定的な表現がよく使われるが、古くなったものは作り直すのは当たり前といえば当たり前だ。
成長過程においては、なかなか気づかないことなのだろう。
そう、私も気づかなかったことだ。
会社員として、井戸の中の蛙のように生きていた頃、見えていなかったものが多かった。
音楽がデジタル化されることによって、著作嫌問題がこんなに議論されるようになるとは少しも思っていなかった。
電話が無線化することによって、それがコミュニケーションすべてを包括してしまうとは思ってもいなかった。
電話は所詮電話なんであり、原始的な通信手段にすぎないのだとはとても思えなかった。
長距離電話は高いのが常識だった。
今や、短くても長くても料金は一緒の時代になった。
しかも、時間量とは関係ない料金体系に移行しはじめるなんて。
NTTが潰れる?
あんな巨大な産業が?
考えたらそうなのだ。
1億台の電話の基本料が入って来なくなったら、それだけで月2000億、年にして2兆4千億の売上がなくなる。
そりゃ、潰れるしかない。
すべてはインターネットというメディアが、今の主要メディアのオルタナティブとして存在するが故なのだ。
既存メディアのできることは、なるだけインターネットのオルタナティブ性を普遍化させないように工作することだけだ。
インターネットは危ないとか、無責任とか、クオリティがはるかに劣るとかのネガティブ・キャンペーンである。
これはある部分では成功している。
著作権を守ると言う名目で、自分達のビジネスを守ろうとしている既得権業者は数多い。
音楽業界、映画業界、ゲーム業界、出版業界。
今や、商売道具のすべてがデジタル化され、インターネットを使えば簡単に流布してしまうこれらの業界。
彼等は、インターネットを使うな!と必死になって叫ぶ。
インターネットを使うものは、すべて犯罪者だと言いかねない業界だ。
ついこの間まで、彼等はこんな状況になるなんて露ほども思っていなかった。
インターネットはインターネットであり、私たちの商売とは何の関係もないと。
それが、いつの間にか、自分達のテリトリーの中に侵入して来ている。
元々、コンテンツをデジタル化したことに問題があるのだが、彼等はそれを自覚したくないようだ。
デジタル化したものを、勝手に第三者が使うなと言いたいらしい。
しかし、デジタル化したものを売っておいて、それをユーザーが勝手にいじるのを邪魔するというのは、全く理屈が通らない。
自分のものを、どう使おうと勝手ではないか。
それとも業界は、売ったのではなく、コンテンツを貸しているだけとでも言いたいのだろうか。
所有権を買ったものが、それを分解しようと壊そうと自由なはずである。
とにかく、公序良俗に反しない限り、パーソナルな利用に制限等付きはしない。
それとも、法体系をねじまげて私見の制限を徹底的に行うつもりだろうか。
そういえば、有事立法もメディア規制三法案も同じような構造を持っているような気がする。
時代は、自由から制御(規制)の時代に入ったのか?
そうなれば、インターネットの弾圧は不可避といえるかもしれない。
フリーからコントロールへ、時代の流れは変わりつつあり、それを国民も求めているとしたら・・・。
危うし!インターネット。
今、焚書坑儒の新しい策動が始まりつつあるのだ!
なんてね、大袈裟だけど・・・。
本当、これからどう世の中が変わって行くのか、全く見当がつかない。
世界が変わり、自分も又変わっていく。
それは誰にも止められないのは確かだ。
人間なんてラララ?♪
昨日の私は、今日の私ではなく、明日の私は今日の私ではない、では、本当の私とは、一体いつの時の私だろうか、安部邦雄