養老孟司さんが語る概念に「ああすれば、こうなる」というのがある。
肯定しているのではない。
人間の脳はそう思いすぎているというのである。
今読んでいる「まともな人」(中公文庫)にもこういう文章がある。
石油を消費すれば、炭酸ガスが出る。炭酸ガスが出れば、地球は温暖化する。どちらも「ああすれば、こうなる」である。
この原則が成立するのは、単純な系に対してだけである。
生物や環境のような複雑系に対しては、そんなものは例外的にしか成り立たない。
それでも脳化社会の住人は、「ああすれば、こうなる」がもっとも「理性的」だと信じて疑わない。
だから「温暖化する」すると脅すのであろう。
「ああすれば、こうなる」というのは、限定的にしか使えないと養老氏は繰り返し述べる。
そう考えたがっているのは脳である。
それの方が楽だからだ。
つまり、脳は自分が楽になることを考えていつも活動している。
にもかかわらず、脳は楽をすればするほど退化する。
何というパラドックスだろう。
もう一つ、「情報は不変だが、人間は変化する」というのもある。
根本的には人は変わる。変わった自分が何をどう考えるか、今の自分にはわからない。
つまり、俺は俺ではなくなるのに、「俺は俺だ」と思い、「ああすれば、こうなる」のだと、主張する。
意識は自分を情報だと規定し、変わらないと信じるのだ。
養老孟司先生の説、わかったようでよくわからないので、胸の中でもやもやしている。
私の限界と言うしかない。