NHKへの政治介入問題、何だかややこしいことになりそうである。
安倍さんとかNHKの言い分は一致している。
告発したプロデューサーの言っていることは間違い、朝日新聞の記事も間違い、どちらも謝罪しろ、それでこの話はなし、というのを望んでいるようだ。
とにかく、今のNHK、限りなくやばい。
国民から受信料を強制的に徴収しているくせに、極めて恣意的にその金を浪費しているという声も大きくなっている。
NHKは国民に向けて、公共放送としての義務を忠実に果たさなければいけないのに、やっていることに疑問が増える一方ということか。
私は、確かに今の海老沢体制は異常だなと実際にその様を見て実感したひとりである。
エビジョンイルなんて言い方をされていたが、うまいこと言うなというのが率直な感想だった。
部外者から見れば、NHKの状況にはちょっと首をかしげることが多いのも事実だ。
で、期を一にして、今回の政治介入劇。
NHKの内部では、さぞこの土曜日も日曜日も、上へ下への大騒ぎだろうな。
社員の皆様には御愁傷さまでございます。
ところで、私が現役のディレクターをやっていた時も、政治介入というほどのことはないが、何かと政治と関係する規制みたいなものはあった。
忌野清四郎のタイマーズが原発を揶揄した歌が、レコード会社から突然発売中止になった。
レコード会社が原発事業を行っている企業の関連企業だったからという理由だったと思う。
頭に来た清四郎氏は、別の会社からレコードを発売したのだが、FM東京がその曲の放送を自粛するという方針をとり、再び問題に。
私は、別に問題はないだろうと思って、自粛などせず自由にかけていたのだが、系列局として不必要にかけるなという指示があったりした。
その曲をかける必然性がある場合は仕方がないが、程々にというトップの意志だったように思う。
原発を批判するような曲はかけるな、という風潮ができないかと私は心配したりした。
ジャーナリズムには、ジャーナリズムとしての問題提起というのは常にある。
偏向した意見だ、少数意見だということでも、それが放送する価値があると思えば、どんな権力に抗しても放送するのがジャーナリストである。
問題はバランス感覚である。
何が歴史的に正しいのか、そんなものはおいそれとはわからない。
今は偏っていても、今は少数派でも、それがいつ多数派に変わるかなど、わかりはしない。
権力におもねって、いわれる通りにするなら、それは御用ジャーナリズムである。
戦前の報道機関は、まさに御用ジャーナリズムによって、日本に、日本人に大被害を与えたのである。
だから、今回のような事件が起きた時、ジャーナリストは無関心を装ってはいけない。
真実は何かを明らかにしないといけない。
その結果、今回の報道が明らかに間違いなら、それなりの責任はとるべきだろう。
ジャーナリストはうやむやにすることを拒否すべきだ。
例え、最終的にそれが叶えられなくとも、やるだけのことはやってほしい。
与野党の政争ごとに巻き込まれるような状況はごめん蒙りたい。
マスコミはマスコミで結論をつける。
そうあってほしいと思うが、内心危うい気持ちでいることも確かな私である。
考えたらイギリスのBBCというのは偉いなあと思う、昔の「空飛ぶモンティパイソン」みたいなトンでもない、公序良俗に反することでも平気で口に出していた番組を作っていたのだから、それだけ民度が違うのかもしれないが、安部邦雄