「カリスマ」の著者は、佐野眞一さんである。
2年ぐらい前に「だれが本を殺すのか」という著書がベストセラーになった人だ。
誰が本を殺すのか、というと出版業界であり、又、一人一人の読者だという主張だった。
今時、再販制度に保護されているようでは、業界の発展などありえないということだと思う。
出版不況だ、若い連中が本を読まなくなっただと、業界人は自分たちの努力不足ではなく、社会が悪い、大衆が悪いと言い続けている。
責任は我々にないとでも言うかのように。
まるでレコード業界と同じではないか。
CDが売れないのは、不正コピーが蔓延しているからだ。
安い東南アジアのCDを勝手に輸入しているからだ。
著作権保護を強化しろ、逆輸入を禁止しろ、とユーザーから批判されるような施策ばかり打ち出している。
自分たちのやっていることは正しい、間違っているのは大衆である。
そんなの商売人の言うことではない。
客あっての商売であり、その客を泥棒扱いするようではおしまいである。
それまで、ぼろ儲けしていたくせに今更何が文化を守れだとの声もよく聞く。
人間、他人のことはよく見えるが、自分のことになると途端に判断力を失うようである。
閑話休題。
「カリスマ」の新潮文庫版を手に入れ、現在読み続けているところ。
平行して、「だれが本を殺すのか、延長戦」も借りて読んでいる。
佐野眞一さんには従来それほど興味があったわけではないが、彼の次の言葉にちょっと感銘を受けたので書きとめておく。
いい本というのは何か、それは簡単です。
読む前と読んだあとの世界が違って見える本がいい本です。
確かに。
私にとっての養老孟司さんなんか、その典型であろう。
人間は変わるが情報は不変であるとか、人間は死ぬが、死ぬのは今のあなたではない、未来の別のあなたなのだとか。
前に書いたことがあると思うのでここでは繰り返さない。
私は今後も、読後に世界が変わるような本を一杯読んで行きたい思う。
そんな本に出会ったら、又この欄でとりあげるつもりなので、気を長くしてお待ちいただければ。
久しぶりに脱日記体になった、精神的余裕ができないとなかなかイデーを開陳、なんて状況にはならないが、その前にもっといい本を多く読まないといけないのも確か、ネットばかり見ていては思考は深化しない、安部邦雄