トラブル処理は結局深夜2時すぎまでかかった。
新年早々縁起が悪いなあと気分が悪い。
このトラブルを昨年のこととして、一応悪い年の打止めと考えることもできるが、私的にはゲンの悪さを引きずるような予感がしてならない。
あ?あ、鶴亀、鶴亀。(これはゲンが悪い時に、縁起の良い言葉を使って打ち消そうという習慣、言霊信仰の一種)
とにかくトラブルは一応解決した。
あらためて、皆様、あけましておめでとうございます。
実家で、いつもの正月の膳につき、お屠蘇を祝って、輝かしき2004年のスタート。
物心ついた頃から、正月は毎年同じものをその時だけ、特別に食べているのに改めて驚く。
関西特有の白みそ雑煮。
丸餅、小芋(里芋)、京人参、大根のごった煮だ。
餅は取り出してきな粉と共に食する。
きな粉なんて、最近は正月以外家庭ではあまり見たことがない。
漢字では、黄粉と書く。
大豆を粉末にして煎ったものをきな粉というのだが、それに砂糖を加えてかきまぜ、餅にまぶす。
癖でそうするわけで、うまいのかどうかはよくわからん。
蒲鉾でも、いつもは300円ぐらいのものが正月だけ何と1000円。
紅白の縁起物というだけで、3倍にもなるなんて。
梅蒲鉾というのも正月にしか見ない。
ぼうだら(棒鱈)だって、普段はほとんど見かけない。
昆布巻きもゴマメも数の子も黒豆も。
50年間、毎年正月だけに食べる料理の数々。
それを覚えているのは、母だけだ。
食べなくなって、10年ぐらいするとそんなものがあったことすら忘れてしまうような気がする。
伝統はこうして失われるのだろう。
習慣なんか止めてしまえば、短ければ10年もあれば忘れてしまうものだ。
例えば、日本の古代史で出てくる銅鐸。
古事記が書かれた頃には、それが何に使ったのか誰も知らない状況になるのだ。
つまり、大和朝廷の人間は誰も知らないということだ。
おそらく、征服王朝(大和朝廷?)が制圧した住民の習慣(信仰)を破棄させたのだろう。
伝えることも許されなくなって、あっという間に人々の心から銅鐸は消えてしまったのだ。
消えるものは、歴史の必然として消えるのだ。
意味のなくなったものを残そうとしても、やがては消える。
意味のなくなったものに、意味を新たに見い出すことなど不可能だ。
伝統を残すと言うのは、短期的には人間のロマンとして意義深いとは思うが、長い歴史の中ではいずれは消えるものだ。
はて、私はこの正月料理の数々をどうしようと思っているのだろう。
うまいと思うものは残ればいい。
ただ、縁起がいい、伝統だというだけで、毎年食べると言うのはどうなのだろうか。
1000円も出して、蒲鉾を食べる必要なんてあると思いますか?
今年の元旦風景はやはり景気の悪さが影響してか、寂しいものがあった、開いているスーパーも従業員ばかりが目立っていた、申歳というのは波瀾万丈の年だといわれるとちょっと気になる、安部邦雄