アルバイト マハト フライ
ナチスの強制収容所の門にかかげられた標語。
働けば自由になれる、という意味。
何て卑劣な言葉だろう。
自由になれる可能性なんて、ほとんどなかったにもかかわらず、ユダヤ人からさらなる労働を搾取するために使われた言葉だ。
ところで、アルバイトというとちょっとした小遣い稼ぎという意味で今の日本では使われている。
私も若い頃、いくつかのアルバイトをした。
メインは、やはり家庭教師。
国立大学というだけで、家庭教師に来てくれという希望者はいくらでもいた。
週に2回程度教えに行くだけで、けっこうな月謝をいただいた。
ケーキを出してもらったり、食事まで出していただいたり。
やはり、知的労働者は効率がいいということだろう。
模擬試験の監督というのも、毎月1回程度あって、交通費つきで楽なバイトだった。
これも国立大学生という肩書きがあったからなのだろう。
新入生の頃は、それでもバイト慣れしていなかったこともあり、辛い仕事もよくやった。
トラックの助手なんて、何度危ない目にあったことか。
確かに、時給はめちゃ良かったが、荷台から転落したり、倒れてきた荷物に押しつぶされたり。
トラックの運ちゃんに何度も言われた。
ええか、怖い思ったら、絶対怪我するからな。
ほんとにそうだった。
恐怖心を持って、仕事をすると、自分が消極的になり、あっというまに相手に飲まれてしまう。
平常心、危ないものに対応する時は、それが一番の武器だ。
イラクに行く自衛隊の皆さま、平常心ですよ。
とはいえ、怖いと思うヒマもなく死んでしまうのが、現代の戦争なんだろうけど。
会社に入ってからも、頼まれてアルバイトは幾つかした。
土曜日だけでいいからと、家庭教師も続けさせられたし、友達の調査会社の仕事で、観光地に出かけてアンケートをとったりした。
別にお金が欲しいわけでやっていたわけではない。
単なる好奇心、人の意見を聞くのが好きだったのかもしれない。
私も、普通に会社員だったら、あと何年かで定年である。
残りの人生、アルバイトでもして過ごすかとか、サラリーマンしていたら思ったかもしれない。
さて、経営者の私。
これから一体何して過ごそう。
気楽に生きていけるなら、それが一番なんだけどね。
今日はやや枯れた更新になってしまった、等身大の生き方がやはり自分に一番相応しいと思うのだが、何か無理みたい、今の私、まるで車を回しつづける二十日鼠のようだ、しんどいよー、安部邦雄