最初に考えていたことと違う内容になってきたので、この話題は今日で完結。
さてそういうわけで、ちょっとはラジオ技術に通じるようになった私。
アンテナの設定の仕方で遠くの放送も聞けるようになるということを知った。
又、件のレコードプレイヤーに付属したラジオ、これが意外とパワフルなラジオだった。
フェージング現象(音が大きくなったり小さくなったりする現象)が最小限におさえられていた。
このラジオを利用して、私はBCL(Broadcasting Listener)の道を歩み始めることになるわけだが、このあたりのことはマニアの世界になるので省略。
で、一番最初に書いた話になる。つまり音楽はラジオから聞いたという話。
ビートルズにのめり込んだ私は、とにかくビートルズ系の音楽(いわゆるリバプールサウンド)が聞きたくてたまらない。
レコードを買うのは、いくらアホぼんを使ってもおのずと限度がある。
当時は、まだテープレコーダーなんて存在しない。
音楽を聞く為には、ひたすらラジオで流れるのを待つしかない。
ラジオでは、それゆえリクエスト番組が大はやり。
電話リクエストなんか、人気番組のさいたるものだった。
電話でリクエストして(しかも公衆電話を使って)、家に帰りひたすら自分のリクエスト曲がかかるのを待つ。
ちょっとマニアックな曲だったら、ほとんどかからないわけで、今から考えるとあれでよく我慢できたものだ。
レコード喫茶が人気だったのも、よくわかるような気がする。
で、私はそのラジオをさらにパワーアップし、日本の放送局、世界の放送局に音楽を求めたわけだ。
どこかで、自分の聞きたい曲がかかっているのではないか。
母を求めて三千里、マルコー!お母さーん!
ああ、なんてハングリーな青春の日々よ。
だいぶ前にも書いたが、私の時代の音楽番組の代表といえば小島正雄さんの「9500万人のポピュラーリクエスト」。(つまりは、66年ごろの日本の人口は9500万人だったわけ)
文化放送制作で全国ネットしていたのだが、放送日時が地方地方で違っていた。
そこで、ビートルズ聞きたさに、全国の放送局をはしごするわけだ。
同じ番組内容だから、どこで何がかかるかわかるわけで、涙ぐましいというか、マニアは何するかわからんというか。
今では考えられない創意工夫が、若者達の間にはあったということだ。
これだけ、ラジオ局に心酔した私、70年に産まれたFM局がどれだけ嬉しかったことか。
そのFM局に運命のいたずらで入社してしまうのだが、これは本当は私の望んだことではなかった。(趣味は趣味だものね。)
私の第一志望は、研究者だったのである。
ああ、あの時の揺れ動いた私の心よ。
てなわけで、今もラジオ大好き、ラジオのためなら例え火の中、水の中、になってしまったわけですわ。
散文的な話はこれでおしまい、水野晴雄さんが映画を絶賛したように、私も又こう言いたい、いやあ、ラジオって本当に面白いですね、はい、もう時間が来ました、さよなら、さよなら、さよなら、あ、途中で淀川長治になってもた、安部邦雄