学校教育の重要な要素がクラブ活動なのだそうだ。
中学や高校、大学もそうだろうが、入学するとすぐに判断を要求されるのが、クラブはどこに入ろうか?ということだ。
「ねえねえ、たっちゃんはどこのクラブに入るの?」
日本テレビで現在再放送中のアニメ「タッチ」で浅倉南ちゃんがぐうたらな双児の兄貴「達也」に話し掛ける言葉である。
何でクラブなんて入らないといけないのだ。
達也は不満そうにそう思うのだが、確かに何故学校に入ったらクラブ活動を選択しないといけないのか。
これも教育?
団体行動を学び、己の知力や体力を磨き、耐える気持ち、自分に克つ精神を学ぶ。
クラブ活動の聖なる目的ここにあり、か。
しかしね、私としては今サッカーのJリーグのシステム、すなわち地域にクラブを作り、学校という概念とは別のクラブチームを作るという理念の方が好きだな。
いつまでも、単位が学校しかないのは、いかがなものか。
何でもかんでも学校の責任で実施するものでもなかろう。
文部科学省の管理ばかりが目立つクラブ活動なんてくそくらえである。
ま、50を過ぎたオッサンがこんなことに目くじらたてるのも何ですがね。
クラブ活動に入るという選択は私も何度かした。
中学校は、運動会で見たきらびやかなバトントワリングを見て、ブラスバンドに迷わず入部。
あっという間に頭角をあらわすが、生意気さも目立ち過ぎ、2年生にしこたましごかれる。
けっ、あのダンボ野郎め!
次に、担当教師と喧嘩。
ブラスバンド部を、軽音楽部に変えようとしたことに激しく反発。
何で、おれたちがピアノとか弦楽器とアンサンブルしないといかんのじゃ。
俺がやりたいのは、マーチだけだ。
他にも色々あって2年の終わりに退部。
その後何故か、技術部に入って、毎日ラジオ製作に没頭。ついでにハム無線の道を行く。(でも、貧乏人の息子には送受信機を買う金もなく、いつも学校のマシンでCQCQ)
ついでに新聞部に入部。
修学旅行のルポなどを太宰治の「富嶽百景」を巧みに引用しながら掲載。
中学生で太宰をどうのこうのという、ませガキである。
ついでに、この頃感動していたのがダリの「記憶の不滅」をはじめとするシュールレアリズムの作品群。
世の中をななめにしか見れない、とんでもない青春のはじまりであった。
高校入学、せっかくだからスポーツ関係のクラブにしようと思って、サッカー部へ。
理由ははっきりしない。
別にサッカーが好きだったと言う思い出もないのに。
ただ、中学の体育の授業を通じて、陸上とか卓球とかバスケとか柔道とかバレーは適性がないことはわかっていたし、テニスはチャラチャラして嫌。
野球関係は、高校野球が商業化していて、やる気になれず。
残るは、ラグビーかサッカーか。(水泳もあったな、でも冬寒いから嫌)
どちらがカッコいいか?そりゃサッカーだよな。
で、サッカー部へ。
しかし、身体は確かに頑強にはなったが、精神的にはまいってしまった。
こういう体育会系の精神は私には合わん。
でも、中学の時と同じように、2年の終りまでいた。
「おお、分裂やないか。」
ラグビー部の先輩にそう言って何度も揶揄されていたものだ。
何やねん、分裂って。
3年はほとんど受験勉強に費やされるのだが、ヒマなので弁論部に所属。
マクルーハンにはまり、論題はいつもマクルーハン関係。
だが、学友は誰もマクルーハンなんか知らなかった。
日本に紹介したのはあの竹村健一先生。
当時、まだ追手門大学の英語の教授。
だいたいやねえ?とパイプくわえてしゃべるのは今と全く同じだった。
大学は、学園紛争まっさかり。
クラブ活動というよりも、学生運動に参加するかどうかの選択が先に来る。
大学新聞にとりあえず席を置くが、1年の終わり頃、新聞が当時できたばかりの赤軍派に乗っ取られ、読者から購読料から広告料まで、みんな持って行かれてしまった。
これからはゲバ棒の時代ではない、鉄砲を奪取して戦え!
秀才だった先輩が、熱にうなされるようにアジっていたのを思い出す。
悪いけど、赤軍派にはついていけませんでした。(私はおとなしく暴力で追い払われました)
会社に入って、釣り部とスキー部と鉄道研究会に所属。
その他、会社公認の野球部に入り、監督を勤めたりした。
でも、クラブ活動というのは色々やってきたけど、今でも人並以上にできるものって何一つない。
結局、私にとって、クラブって何だったんだろうと思いますね。
クラブ活動でやったことをそのまま社会にでてもやるというのは幸せなんだろうか、趣味ぐらいで続けていると言うのが一番罪がなくてよさそうな気もする、安部邦雄