ベッドに寝そべり、一日中ラジオを聞いて過ごす。
たいていNHKだが、たまにFEN(今は何だったっけ?)に切り替えて、わけのわからん英語のニュースを聞いたりする。
しばらく聞いていると、何となくわかるような気がしてくる。
日本語で翻訳しようとすると何が何だかわからなくなる。
もう、英語の世界だけでいいんだと思い出すと、ニュアンスだけは伝わってくるようになるから不思議。
悪いのは日本語で認識しようとする脳の活動というわけか。
ところで、アメリカの国防総省(ペンタゴン)がウソ情報をメディアに流して他国を撹乱させるための局を秘密裏に作っていたというニュースが流れていた。
ニューヨーク・タイムスのスクープだったと思うが、アメリカならやりそうなことだな、と思った次第。
結局、このスクープで局は廃止になったそうだが、この嘘情報で思い出したのが、前の東大総長・蓮見重彦氏が書いていたことだ。
「情報化社会はウソ情報の方が真実より伝わりやすい。」
うん、それはそうだ、確かに。
蓮見氏の言い方では、少し誤解を生むかもしれないので、私から少し書き加えてみる。
情報化社会というのは、前の時代より、情報が大量に伝わりやすい社会である。
ところが、情報は伝わる内にさまざまなバイアスを受けて変化する性質がある。
それゆえ、情報とは、その時代の人があるバイアスを持つと、そのバイアスにそったものしか流通しないことになる。
つまり、真実ではない、ウソが、さも真実のように伝わってしまうのだ。
例えば、昨今の例で言うと、鈴木宗男氏は、もうトンデモないほどの悪徳政治家である。
だから、彼の業績はどんなものであれ、まず悪というバイアスをかけられて流布される。
受ける側も、悪というバイアスでそれを受け止め、又自分の中のバイアスをかけて他人に伝える。
結果、どんな立派な業績も、悪の業績の1つとして矮小化されることになる。
その反対が、加藤紘一氏。
本人が善だから、彼の行った違法行為もすべて善のバイアスをかけられて伝わって行く。
彼の行ったことは悪い。しかし、彼はとてもイイ人だ。おそらく何かやむにやまれぬ事情があったのだろう。
こうなると、真実か嘘かなんて、きわめて相対的なものにしかならないことがわかるだろう。
「ネット社会は重いものは流通しない。重いものをいかに軽くするかが勝負だ。重いものを軽くするメソッドの中に、ネット社会のビジネスモデルが隠れている。」
これは、私がインターネットを活用しはじめてから、繰り返し述べているテーゼである。
ウソ情報というのは、ある意味では思いきり軽くできていると思っていい。
真実は、重いまま伝えてほしいと願っている。
よく、スキャンダルをマスコミに暴かれた芸能人が言うだろう。
「そんな事実はない。嘘八百もいいところだ。」
芸能人のスキャンダルの場合、嘘八百とは言えないまでも、ある程度の誇張は避けられない。
何故なら、真実など言おうとすれば、ただ重いだけで、伝わらないし、ユーザーも鬱陶しいだけだ。
そこで、送り手側はなるだけ、情報を軽くする。
芸能人とは基本的にこうだというバイアスをかけ圧縮し、そのバイアスを心にもっているユーザーに対して、圧縮した情報を送る。
ユーザーは軽くなった情報を自分のバイアスで受け止め、情報が流布される。
圧縮された情報は間違っているかもしれない。
しかし、それでなければ相手に伝わらない。
伝わらない情報は無である。
だから、ウソの情報しか伝わらない、それが情報化社会なのだ。
ふう?、わかっていただけましたかね?
ラジオを聞いているだけではヒマなので、ついでに蓮見さんの本を引っぱりだして、まだ熱の残る頭で色々理屈をこねてみました。
ま、頭が100%まわっているわけではないので、今日はこんなところでやめときます。
今夜も安静にして寝させてもらいます。
中澤裕子の「オールナイトニッポン」聞かなくっちゃ。
真実を相手に伝えようという努力の空しさを感じています、むしろ真実に近い、相手が理解できるようなウソを語った方が、結局コミュニケーションはうまく行くのではと思いはじめた、安部邦雄