家のそばに図書館ができてからというもの、ほとんど本というものを買わなくなった。
すべて図書館で間に合う。
新刊は次々に買ってくれるし、予約しておけば態々家まで本が用意できた旨、電話してくれる。
私が、ではこのサービスの対価に何をしているかというと、ただ区民税を払っているに過ぎない。
私の払っている住民税なんてたかがしれている。
年間の本の貸し出し数は、およそ100?150册。
本当に図書館には感謝している次第。(新聞も雑誌も読み放題というのもありがたい。)
しかし、確かに私は色々と重宝しているのだが、これって社会的に是認できることなんだろうか?
図書館が至る所にでき、誰もが本を買うのではなく借りるようになったとしたら、出版文化ってうまくいくのだろうか。
これは、今話題の音楽CDの著作権問題とどこかでリンクしている問題ではなかろうか。
AVEXレコードが販売しはじめたコピーガードCD。
コンピューターでいくらでもコピーでき、ネットを使って勝手に流通してしまうため、CDの売り上げがダウンした。
それをプロテクトするため、パソコンでコピーができないようなCD(もどき)を発売したわけである。
パソコン・ユーザーからはひどく評判が悪い。
コピーの問題のソリューションとしてはあまりにお粗末という議論である。
まあ、確かにCDを販売することによって会社の売り上げをあげようとすれば、パソコンによるコピーは何とかプロテクトしたいと言う気持ちはわからないでもない。
しかし、ユーザーに何の説明もなく、どんなCDを売ろうとサプライヤーの勝手とでもいいかねない会社の態度はちょっと問題かなと私も思う。
時代のパラダイムは私有から共有へと変わりはじめているとしたら、私有を原則としたCD流通の原理は立場的にゆらぎはじめていると言っても過言ではなかろう。
そう、私が最初に言った、図書館の存在意義の基盤的思想にこの<私有→共有>という変化が垣間見えるのである。
本は、みんなで回し読みするものだとするなら、図書館が増えるに連れ、出版者の売上は激減する。
本当に必要なもの以外、人は本を買わなくなる。
この構造、レコード業界と同じだ。
本当に残しておきたいもの以外、CDを態々買ったりしなくなる。
それでどこがいけないのだろう。
確かにレコード会社は困るだろう。
しかし、その曲の作詞者・作曲者・アーチストは確実に有名になるはずだし、平等にユーザーの手に委ねられる。
金をもっていないからといって、曲と接する機会を制限されない。
困るのは、レコード業界だけである。
それも、単なる大量消費財としてのCDしか作らないレコード業界である。
コピーガードが当然のように振る舞うレコード会社にとって、もし図書館が今のレンタルショップと同じように、最新曲を置くようになれば、彼等は何と言って図書館を攻めるだろう。
個人が資料用に出版物をコピーするのは、今の図書館では制限されていない。
ならば、自分で楽しむ分には、CDも図書館でコピーするのは自由と言うことになる。
図書館を否定することが、音楽業界にできるだろうか。
コピーをしてはいけないと、ユーザーを説得することができるだろうか。
コピー問題は、既得権者がその権利を主張するだけではもう解決しない問題である。
2chという巨大掲示板にも、最近コピーレフトという概念が登場するようになった。
コピーライトの反対だからコピーレフトというらしい。
つまり、著作権物を第三者が自由に使う権利とでもいうのだろうか。
著作権者が、自分の都合だけでその使用を制限することは許されないという考えの下に成り立っている。
何がよくて、何がいけないか、それは個人がきめるのではなく、パブリックな論議の下に決すべきであるということだろう。
今回のAVEXのとった措置が如何にこのコピーレフトという考えと対立するかがお分かりいただけると思う。
AVEXの考えでは、図書館自体もいつか否定せざるを得なくなると私は思うのだ。
今は、まだ過渡期。
今後パラダイムの変換が進んで行くことは確実であり、その時の著作権がどういうものになるか、予断を許さないとしか今はいいようがないと考えるのだが、いかがだろうか。
しかし、コピーガードというか、コピーコントロールというか、avexはちょっとお粗末だったとしか言い様がない、安部邦雄