今日から学校は春休みだそうだ。
朝のテレビ番組も子供用の企画に変わっている。
映画館も、漫画祭りで大にぎわいとか。
ベスト10に、クレヨンしんちゃん、ドラエもん、ついでに千と千尋まで入っている。(モンスターズ・インクもね。)
漫画でもっている、東映と東宝というところか。
しかし、春休みというのは、いつも思うのだが中途半端な休みである。
夏休みと冬休みは、誰が何といっても休みである。
夏は、海水浴とか田舎に帰って蝉とりに田圃で蛙とりやザリガニとりに夢中。
冬は、何と言ってもお正月がある。
でも、春休みと言うのは、いつもどうやって過ごしていいのか悩んでしまう。
大抵の場合、宿題がない。
学年が上がったり、別の学校へ行ったりする(進学)わけだがら、宿題の出しようがないのだろう。
クラス替えがあったり、担任が変わったり、友だちが転校したり、卒業式があったり、入学式があったり、色々ドラマがあったりしたのだろうが、これは休みとは直接関係ない。
しかも、社会人には一部を除いて春休みなどというのは存在しない。
春休みって、結局子供にしか存在しないわけで、社会的には中途半端な休みにならざるをえないのかもしれない。
春休みの思い出を聞かれたら、私なら絶対戸惑う。
思い出しようがないのだ。
さっきも言ったが、卒業式とか入学式とか高校と大学の入学試験の時の思い出しかない。
それ以外の春休みをどう過ごしたか、ほとんど思い出せない。
何て存在意義のない休みなんだろう。
そりゃ大人が休んでいないのだから、子供にとっては遊び甲斐のない休みになるしかないのだろう。
少し話がそれるが、社会人になってからのこの3月から4月というのは別の意味で憂鬱な時だった。
この時期は大抵春闘と重なるのだ。
私は、大阪の会社にいた時の半分は労働組合の執行委員だった。
委員長の経験もある。
別になりたくてなったわけではないのだが、なりゆきでなってしまった。
でも、闘争は憂鬱だった。
せっかくの時間がこんな不毛なものにとられるのかとため息が出た。
給料なんて私は本当のところどうでもよかった。
そこそこもらえれば私は何の文句もない。
他の放送局の社員がどれだけもらっていようと私の知ったことではない。
私は自分が生活できるだけ給料があればそれでよかった。
でも、ほとんどの社員は文句たらたら。
すぐに抗議行動だ、ストだ、ピケだと戦闘的になる。
わし等はゼニの為に働いとるんじゃ。ゼニや!それが目的や!
同期のT君など真顔で何度も私にそう言った。
ゼニねえ。ま、普通はそうなのかなあ。
たよんない、委員長である。
でも、結局他にやる人がいなかったのか、毎回立候補しては、団交で経営方針を罵倒する演説をぶち、経営者ににらまれたものだ。
一体誰のために私は使用者側と戦っていたんだろう。
何で本当に怒っていない私が、憎悪むきだしの組合員の代表になって、相手をくそみそに言わなければならないのか?
何かとても空しい作業だったような気がして仕方がない。
ホント、何で私は労働者の代表になんかなったのだろうね?
労働組合運動の話は、今下手に言うと、反労働者側に立ちそうな気がする。
ま、経営者というのが今の私の立場なのだから、そうなるのは当たり前なのかもしれないが、それ以前に労働運動の矛盾も指摘したくて仕方がない。
何が、生活を守れじゃ、くそったれ!
春休みの話題が変なところへ行きそうだ。
花粉症もなおならんし、精神的にアグレッシブになりすぎているかもね。
ああ、何かしんどいよ?。
などと、オッサン独特の愚痴を吐きながら今夜は終了でございます。
明日はもうちょっと骨のある話をしますから許してね。
そういえば、季節の替わり目が休みなのは春休みだけですね、身体の不調が出やすい季節だから、春休みは本当に身体を休める時なのかもしれませんね、安部邦雄