放送局のディレクターにとってのヒット曲を今回は考えてみよう。
私は、FM大阪でポップスのベスト10番組を作っていた。
ベスト10を作る為の根拠は、リクエスト葉書である。
少ない時で200枚。多い時には500?600枚ぐらい来ていた。
もちろん、この中には組織票や、先週のLPプレゼントに使ったアーチストの曲が増えたりするので、そのあたりを調整しながら毎回ベスト10を構成者と作っていた。
200枚の葉書でベスト10が作れるのか?
これは悩ましい問題だった。
それでも、200枚の葉書は多い方だ。(私の番組は人気番組の一つだった。)
他局がローカルだけで、それ以上集めているとはとても思えない。
つまり、ヒット曲を作る基本なんて、直接情報というのはこれぐらいだということだ。
後は、他の間接情報を参考にするしかない。
リスナーから、11位から20位も発表してほしいという要望が来たりした。
そんなもの、どうやって順番づけすりゃいいんだと思った。
他の番組はやっている、オリコンは200位までチャートを出している。
少なくともポップスのベスト10なんて、10位ぐらいまでの順番をつけるのが精一杯のはず。
もし、それ以上つけるとすれば、スタッフによる恣意的なチャートということになる。
邦楽となると、もっと無茶苦茶だろう。
前にも書いたが、ヒットチャートの形成の過程で、音楽業界は億の金をばらまいているのは常識である。
ドラマのテーマ曲、コマーシャルのタイアップ、ヘビーローテーションの獲得、これらに使われている費用は莫大である。
ディレクターやプロデューサーへの接待、贈り物、番組によれば天井知らずになってもおかしくない。
売れるのなら何でもする。
資本主義の常識である。
ただし、金を湯水のように使っても、ちっともヒットしないことも多い。
ユーザー無視だから当たり前だ。
今までの日本の業界は常に生産者と流通業者、それに送り手(マスコミ)ばかりを見て来た。
ユーザーなんか、環境を作ったら、その通りに動くだろうと言う認識しかなかった。
国の政策の基本がそうなのだ。
音楽ファンなんか、業界の言うことを聞いていればよいのだ。
先日、浜崎あゆみ事件と言うのがあった。
あゆが身体障害者をライブで罵倒したといううわさ話だ。
悪意のあるユーザーがあゆを陥れるために、ネットの掲示板を使ったというのが業界の受け止め方だ。
しかし、この受け止め方は危険である。
何故に、そんな煽りの情報が、あれだけの支持者を集めることができたのか?
業界は、ユーザーを侮っていたとしか言い様がない。
おれたちは、今の音楽業界を支配しているのだ。
おれたちがルールなのだ。ファンはおれたちの言う通りにCDを買っていればいいのだ。
マスコミの立場もこれと大して変わらない。
おれたちがヒット曲だと言うのがヒット曲なのだ。
ファンはおれたちの言う通りに、動いていればいいのだ。
音楽業界の構造問題と言える。
真にヒット曲とは何かを考える為には、業界の構造改革は必要だろう。
新曲を商品流通ルートにのせるのも、ヒット曲をフレームアップする為のシステムも、サプライヤーの一方的なハンドリングの構造の中にある。
そのハンドリングをユーザーの手に取り戻さないといけない。
敵は、大きな権力を持ち、莫大な資産を持ち、富を一方的に収奪している。
開発途上国の地主階級のようなものである。
それに戦いを挑むのは並み大抵ではない。(とはいえ、戦いを挑む理由が果たしてユーザー側にあるのか疑問だが)
さて、話があっちこっちに飛んでしまった。
明日からは、もう少し理知的な考察を加えて行きたい。
そろそろ上柴とおる先生の話もききたいものであるが。
昨日の芝居は「大胸騒ぎ」、主催が大阪市というのには苦笑、テーマは臨死体験のようだったが、出来は今一つかな、南河内万歳一座って、いつも賑やかだなというのが正直な感想、安部邦雄