東京に来て、どうも違うなと思うことはいくつもありました。
でも、郷に入れば郷に従えといいますから、あまり文句も言わず(充分言ってたかもしれないが)、東京風な仕事の仕方をこれまでしてまいりました。
だけど、どうにも違和感がして、ちょっと馴染めないなあと今も思っていることがあります。
典型的なのがミュージックバード時代。
新しい放送局を立ち上げるのだから当然といえばそれまでなのですが、放送局の理念を作るのに無闇に時間をかけていました。
休日出勤までして、部長以下首っ引きで提案書を作るのです。
どこかの雑誌から引っぱってきた「情報ノマド(遊牧民)」とやらをリード・コンセプトにして、何じゃらかんじゃらと難しいこと書いてました。
このあたりは、基本的な部分をsegawaxが書いていたので、あまり批判的なことは言いにくいけど。
私は立場上つきあわざるを得なかっただけで、自分から新しいコンセプトを提案したという記憶はありません。
何も考えていなかったわけではなく、もっと実務の面で迷っていたわけです。
一体、どんな番組を作れば、リスナーって金払ってくれるんだろう?
高尚なコンセプトに金払うわけもなく、とにかく商品見て決めさせてもらうわ、というのがリスナーだと思っていました。
で、どんなチャンネル・コンセプトを作っても、中味がなかったら誰も買わんぜという認識から離れることはできませんでした。
これを昨日もお話した、職人気質の話と関連づけてみましょう。
つまり、ミュージックバードの理念を作ろうとするバックボーンは、ひょっとしたら職人気質ではないかと。
つまり、まず様式美ありきで、中味は外側を作ってからだという意識です。
外側を見事に作り上げない限り、中味は作れないと思っておられたのではないかと。
で、私です。
私には、この職人気質というのは、ほとんどありません。
中味以外に興味はあまりないのです。
これをとりあえず商人気質としておきましょう。
同じことは、FM大阪の本社にいた時もありました。
当時、豊田さんという優秀なプロデューサーがいました。
彼もやはり、コンセプトを作るのが好きでした。
そのためのミーティングなどもとても熱心だったと思います。
対して、私。
コンセプトを作る為のミーティングなんて大嫌い。
コンセプトなんて自分で作るものであって、協議して作るものじゃないのでは、と心から思っていました。
だから、豊田さんと一緒に仕事をするのがとても苦手。
勝手に決めて下さい、いわれた通りにしますから、というスタンスにいつもなっていました。
豊田さんも職人の一人だったのではと今は思います。
私はあくまで商人。
客しか見てない。プロデューサーが何を言おうと、客がつかなきゃおしまい。
理屈で客がつくなんておめでたいことは、私は考えない。
東京は職人の街でした。
それゆえ、みんな理屈が大好き。
様式が大好き。権威が大好き。おれの腕は日本一だと主張したがる人が一杯でした。
私はやはり今もこの職人気質になじめません。
大阪の人と仕事する時、何かほっとするのは、私の商人気質ゆえかもしれません。
ということで、これからも難しいことはsegawax任せでしょう。
何しろ彼は立派な職人ですし、手抜きなんて一切しませんからね。
私の作った家の柱は、どこかで適当に曲がっているのが普通ですが、彼の作った家の柱は真直ぐで傷一つありません。
いやあ、彼ほど腕のいい職人はそこらにいませんぜ、旦那衆。
って、こんなこと言ってたらやっぱりsegawaxは不本意かな。
東京への違和感は職人気質ゆえという仮説は本当に正しいのかな?安部邦雄