正月早々墓参りに行って来た。
前にも書いた奈良県生駒郡平群町の墓所である。
平群と書いて「へぐり」である。
日本史の授業で習ったであろう平群氏という古代豪族の里である。
最初にこの墓に行った時は、今から40年ぐらい前だったろうか。
墓地と小さな焼き場と山と田圃しかなかった。
近くの駅は勿論無人駅。
プラットフォームといっても小さな盛り土があるだけ。
典型的な田舎の風景である。
龍田川の流れはあくまで清らかだった。
牛がいて、さながら、ひねもすのたりのたりの時間が流れていた。
今は、関西のベッドタウン化し、山は切り崩され、駅にはちゃんと自動改札が。
のどかな風景を、少しずつ都会が飲み込み始めている途中というのが、私の印象である。
さて、今回行ってみて新たなことに気づいた。
墓地のそばにバイパスができていたのだ。
山を切り崩し、整地して立派な2車線の道路ができている。
そして、その周辺にはスーパーが立ち、「道の駅」ができ、コンビニやファミレスが次々にできつつある。
そこに住む人たちは、便利になっていいともろ手を上げて喜んでいた。
でも、昔の道沿いの商店はやばくないですか?
そうやな、この前も駅の近くのショッピングセンターがつぶれたなあ。
バイパスが出来ると、その沿道は俄かに活気付くのはご承知の通りだ。
こういうところに住む人はたいてい車を持っている。
バイパス沿いの店は大きな駐車場の確保にほとんど苦労しないし、規模も大きく出来るので、どうしても客が商店街から流れてしまう。
商店街はさびれ、後は廃墟化するだけになってしまう。
困ったことだ。
だが、これが住民のニーズだとしたら、誰がそれを止められるだろう。
昔からの商店に、新しいマーケティングを教えるなんてことは無駄なことだと思う。
中年以上のオッサンやオバハンにパソコンを教えるようなものである。
そんなの覚えるわけはない。
確かに何人かの努力家が経営されているお店は、それでも起死回生の一手を繰り出せるかもしれない。
しかし、マクロ的に言って、そんな努力は蟷螂の斧そのものだ。
バイパスが旧商店街を駆逐するのは誰も止めようがない。
商店街の活性化策をよくテレビや雑誌で紹介されたりしているが、みんな過渡的な彌縫策にすぎない。
もし商店街が何らかのきっかけで活性化したとしたとしたら、その時には、その商店街はかってのような商店街という概念では語れないマーケットになっていることだろう。
問題は、街づくりを考える際に、バイパスによって商店街が駆逐されるという事実をどう前向きにとらえるかであろう。
補助金を出したりして、当面を糊塗するしか行政は方策がなかったのがこれまでである。
農家に補助金を払いながら、生産調整しても、結局農業の衰退をとめられないのと同じ構造である。
道路を作っても、旧来の町は活性化しない。
ただ、それにかかる役所の予算によって、一部の業者が過渡的に潤うだけに過ぎない。
ここには普遍的な価値があまり見られない。
構造改革が果たして、この普遍的な価値を提起できるか、しばらく期待を持って見守って行きたいと思っている。
「道の駅」に興味津々で行ったが、お休みでちょっと残念、でも平群の特産品って何だろう?安部邦雄