狂牛病について少しコメント。
同時テロ事件による不安感が勝っていて、狂牛病が切迫して恐ろしいという空気はさほど感じられない。
ただ、それなりに不安はあるのか、なるだけ牛肉を食べるのはやめようという雰囲気だけはある。
牛肉がなくても別に困らないという人がほとんどだろう。
米が不作で、国産米が食べられないという時ほどの困惑は消費者にはない。
その点、パニックのようなものは起きないだろうが、牛肉で商売している人には迷惑な話だろう。
肉骨粉の製造業者も大変だろうし、地方自治体も予算がないのに、いきなり地方の金で処理しろと言われても困ると言う心境だろう。
冴えない話だ。
農水省のミスリードがそもそもの騒動の原因というのが世間の意見のようだが、諫早のノリ被害の問題もあり、近ごろの官庁は全く頼りにならないとしか言い様がない。
厚生労働省もエイズの時の不手際が少しも改善されていないことが再確認されたし、ほんと情けない限り。
とにかく、狂牛病の一斉検査の結果が出るまで、牛肉は食べないに越したことはなさそうだ。
ただ、農水省の武部大臣が国会の答弁では狂牛病をBSEとしか言わないのが少し鼻につく。
狂牛病は通称で、牛海綿状脳症(BSE)というのが正式名らしい。
で、狂牛病の狂という語感がまずいと思ってか、専らBSE、BSEと繰り返すのだ。
官僚のやりそうなことである。狂牛病で何故悪い!
ヨーロッパによく行く友人が、近頃どこも肉料理を出してくれないので欲求不満になると言いはじめたのがここ1?2年。
それぐらい、ヨーロッパでは予防措置がとられていると言う。
出国時には靴ごと消毒液に足を浸さないといけない、とよく言っていた。
大層だねと笑っていたのだが、日本では油断し過ぎていたのかもしれない。
日本の安全神話が又一つ崩れていったわけである。
さて、今回は牛丼の話を書こうと思ったのだが、BSEの話題が長くなってしまった。
で、私の牛丼初体験の話題を最後に少しだけ。今回言おうとしたことは、パート2として別の機会に書くことにするつもりだ。
さて、関西では、もともと牛丼というのは存在しなかったと言えるだろう。
肉といえば牛肉を指すのが一般的な関西人にとっては、あえて言うなら牛丼は肉丼ということになる。
しかし、そんなメニューはあまり見たことがない。
近いのは他人丼かな。
カシワ(鶏肉のこと)と卵を一緒に入れると親子丼、肉と卵は他人だから他人丼なのである。
東京ではほとんど通じないネーミングであるが。(東京には開化丼というのがある。変な名前だ。)
なお、肉うどんというのがやはり関西にあり、牛肉を濃いめに煮詰めてうどんに入れて食べる。
おいしい。機会があったら食べてみたいのだが、東京では無理かもね。
牛丼を最初に食べたのは、70年ごろ、新宿西口のあたり。
安保闘争がらみで東京に来ていて、ゴタゴタして夕食を食べそびれ、西口あたりで飯屋を探した。
まだ高層ビル群等ない。浄水場が広がっているだけ。
もちろん、ヨドバシカメラなんて影も形もない。
何にもないのだ。それが70年頃の新宿西口。
シーンとしていて、辛うじて灯りがついていた飯屋に入ったのだが、そこのメインが牛丼だった。
それしかない。
わびしく牛丼を食べた。まるで給食のような味。食生活の貧困な街というイメージはその時強く私の脳裏に焼き付いた。
あれから30年。
東京は昔ほど貧困な味の街ではない。
しかし、未だにあの時の牛丼の味が東京のイメージにまとわりついて離れない。
関西人は東京の味を信用していない。
それは、こういった初めての東京の味に対する悲しいトラウマのせいであるといっても過言ではない。
何が、たぬきうどんだ。たぬきは蕎麦に決まっているではないか。天かすしか入ってない?
ハイカラうどんっていうのには天かすは入るけど、他にも色々と具は入っとるど。
ジュースゆうたら、ミックスジュースやろ。
何のジュースですか?なんて聞き返すな。え?ミックスはないってか?お前ら、それでも商売人か。なかったら作らんかい。チャレンジせんかい。
ああ、トラウマや、トラウマが何頭も走ってきよる。
うわあ、助けてくれー、かんにんやー!
ということでパート2をお楽しみに。
今日の晩飯は牛丼と卵でした。実はBSEなんてあまり気にしていない、安部邦雄