失業率が5%を越えたそうである。
大阪では、何と6%。えらいこっちゃ、と騒いでいる。
だろうか?
騒いではいない。息を潜めて状況をただ見つめているだけの人が多そうだ。
失業者はハローワークに行けばいくらでもいる。テレビでもよく取材している。
こんなに一杯の失業者がいます。でも求人がほとんどないので、この人たちは心から困っておられるようです。
では、インタビューしてみましょう。
「どうですか?」「いやあ、仕事ないですねえ。不景気ですからねえ。」
「リストラされたのですか?」「そうです。会社から明日から来なくていいですよと言われました。悔しくてねえ。仕事もないし、家のローンもあるし、子供の学費もかさむし、政府は何をやっているのかと思いますね。」
「構造改革と景気回復はどちらを先にしてほしいですか?」
「そりゃ、景気回復ですね。仕事も増えるかもしれないし。でも、特殊法人とか官僚の天下りなんか見ていたら、構造改革も大事でしょう。私らがこんなに苦しんでるのに、役人はぬくぬくと暮らして。痛みはまずあいつらが受ければいいのです。」
「ありがとうございました。このように国民は怒っています。」
お決まりのマスコミが作った失業者のイメージである。
私は思う。こんなのは一面的な解釈だ。実態は必ずしもそうではない。
では、失業率がもっと低かった時、例えば3%ぐらいの頃、ハローワークにはどれぐらいの人が求職に来ていたのか?
私は、この4?5年労働保険の手続きに度々ハローワークを訪れている。(社員の採用時とか、退職時に手続きに行く。)
その度に、求人ルームとか失業保険の受給フロアをのぞきにいったりしている。
世の中の動向を観察しておこうと思ってである。当事者の人には申し訳ないとは思うが。
で、あくまで私の感想だが、求職者は4?5年前に較べて無茶苦茶増えた印象はない。
4?5年前でも、さっきと同じようなインタビューは可能だったろう。
やっぱり、構造改革より景気回復、官僚はけしからんと求職者は言っただろう。
この光景は、今だけの特異な事例だとは思えない。5%との相関関係があるようにも私には思えない。
それゆえ、こんなのはジャーナリズムとは言えない。単なるマスコミの大衆迎合主義である。
おそらく、失業のイメージはこうであろう。そのイメージに合いそうな映像を撮ってこいとプロデューサーは指令したのだと思う。
繰り返す。こんなものは相対的なものである。それ以前の映像とくらべない限り、実相等見えるはずはない。
テレビは視聴者がイメージするような映像を選んで放送する。それとは違う映像しかとれなければ、やらせでもその映像を作る。
マスコミの大衆迎合主義には注意しなければならない。
善人は善人、悪人は悪人に見えるようにしないと客は見てくれないと思い込んでいる。
田中真紀子外相なんか、その典型かも。
平成のジャンヌ・ダルク(ふけたジャンヌだが)を魔女扱いするものは、すべて悪人だ。
田中真紀子さんは正しい!真紀子、マンセー!
テレビ朝日のワイドショーは、実にこのイメージで、田中外相を映し出している。
ちょっと、批判でもしようものなら、苦情電話の嵐。だったら、迎合していた方が数字もとれるし、作り手も楽だ。
これはマスコミの堕落である。コメンテーターの堕落である。
稲垣メンバーというわけのわからない呼称も堕落である。
何だ、こいつら。こんな奴らにジャーナリズムを任せていて良いのか?
失業の話に戻る。ジャーナリズム批判は又の機会に譲ろう。
今、ほとんどの労働者は心のどこかで、失業することを恐れている。
自分がその5%に入っていないことに安堵し、これからも入らないように願っているのかもしれない。
失業したらどうなるか?
ローンが返せない。世間体が悪い。子供の教育どうしよう。次の仕事見つけられるだろうか。今さら新しいこと等できそうにない。人に頭を下げてまで、仕事を頼みたくない。奥さんにもどう言っていいのかわからない。
ああ、失業はいやだ。とにかく会社にしがみつかなくては。でも、情けない。会社にすがるなんて、俺としたことが、俺としたことが....。
結局プライドの問題も絡んで来そうだ。
テレビで「うちの社員は悪くない」と言って、泣きながら頭を下げていた証券会社の社長、あんな風にはなりたくない。
何で、何度もあの映像を流すのだろう。
可哀想ではないか。ああ、あんな風にはぜったいなりたくない。
何かこの話もどんどん長くなりそうだ。
この続きは、明日の失業のイメージ2でお送りする。まもなく日付けも変わりそうだし。
皆さんは失業したことありますか?一度、メールでこの欄に対する御意見など下さいね。
一時は失業と変わらない身分だった、安部邦雄