昨日は映画を見て泣く話を少ししました。
他に気持ちよく泣いてしまった映画というと、「シネマパラダイス」ですかね。
最後のシーンはさすがに胸がつまりました。何て監督だ、何て終わり方するんだ、何て素晴らしいんだ!
滂沱の涙が溢れました。悲しいわけではない、ただただ感動。
日本映画では黒沢監督の「生きる」ですか。
やはり、ブランコにゆられ「命短し、恋せよ乙女?」と無骨に歌う志村喬の姿は涙せずにはおれなかったですね。
さて、実際に泣く話はこれぐらいにして、今回はビートルズの話である。
「ぼくが泣く」、原題は“I'll cry instead”。
私が自分のお金で初めて買ったレコードがこの曲である。
といっても、この曲はB面。A面は「恋する二人」である。
だから、正確に言えば「ぼくが泣く」を買いに行ったわけではない、あしからず。
ビートルズを最初に聞いたのは、おそらくラジオからだったろうと思う。
私は、子供の頃からラジオが好きだった。
ラジオしかなかった時代に子供をしていたので、それは当然かもしれないが、テレビ放送が始まってからでもラジオの方が好きだった。
「蝶々・雄二の夫婦善哉」はラジオの方がテレビより面白かった。
ラジオは3組、テレビは2組の出場。時間はどちらも30分番組なのに。
ラジオの方が、コンパクトによく出来ていたし、蝶々さんも伸び伸びやれたのかもしれない。
ラジオはイメージが広がるのでとてもいい。テレビは即物的すぎて、私の右脳が拒否しているのだろう、きっとね。
ラジオが好きな中学生は、どうしてもポップスに憧れる。小林克也さんもそんなことを前にどこかに書いていたはず。
で、いきなり、ラジオの番組から流れて来たのがビートルズというわけだ。音楽がガーンと私に向かって飛んで来た感じだった。
え?こんな音もありなの?
こんな自由に、こんな無茶苦茶な歌い方して良いの?こんなでかい音出してもいいの?
いいんだよー!
ラジオはそう叫んでいた。もう、コニー・フランシスやクリフ・リチャードの時代じゃないんだ!
我が家より、少し裕福な家の友だちがいた。
家には、ステレオがあり、ビートルズのアルバムが2枚あった。
「ミート・ザ・ビートルズ」「ビートルズがやって来る、ヤア!ヤア!ヤア!」。
学校が終わればこの友だちの家に行き、ずっと一緒に聞いていた。ついでにウィスキーの角瓶を背伸びして飲んでみた。タバコをすったかどうかまでは覚えていないが。
ビートルズは最高だったが、ウィスキーもおそらくタバコも不味かったはずだ。やっぱりよく覚えていないが。
しかし、ビートルズを聞いたら不良になるとはよく言ったもんだ。
何か、彼等によって檻から解放されたような気分だった。
中学2年生がどんな檻に入れられていたのかはよくわからないが、もう、社会にあるものは全て何してもOKという感じだった。
てやんでえ、矢でも鉄砲でも持って来やがれ!
(関西人だから、こんな言い方はしないか。あほんだら、いてもたろか、われえ!いっぺんうたわしたろか!そや、うたわしたれ、うたわしたれ!かな)
話があっちゃこっちゃになってきた。
つまり、最初に買ったのがこのレコードで、それを一緒に買いに行ったのもこの友人だったというわけだ。
旭区千林にあったミドー楽器店(先般倒産してしまった店。ちょっと悲しい。)でレコード棚を見ながら、「恋する二人とビートルズがやって来る、ヤア!ヤア!ヤア!が一緒に入ってればいいのにねえ。」と話していたら、店の人が「ありますよ!」と言って2枚のシングル盤を持って来た。
どうも、私の意図を聞き違えたらしい。「いいえ、違いますよ」と言った私。2枚とも買えればいいのだが、お金が足りない。
まあいいや、と思って「じゃ、こっちだけ下さい」といって買ったのが「恋する二人/ぼくが泣く」の方。1枚330円の時代だ。
友だちとはそそくさと別れ、わくわくしながら家に帰った。
家の古い蓄音機で早速針を落とす。至福の瞬間だ。
聞きながら、変なタイトル名だなあ、何を歌っているのだろう?と思ったのが「ぼくが泣く」。
歌詞カードはついていたが、中学2年の実力じゃ全く意味がわからなかった。
insteadなんて、特にわかるはずがない。
さて、この項書いていると、何故かどんどん長くなるので今日はもうやめにしよう。
この項明日に続く。
しかし、続けるような内容だったかな?
単なるビートルズ・オタク話ではないだろうか?いいのかな?
オタク話が本当は書きたくてたまらない、安部邦雄