今日は何とかネットカフェを見つけることができた。
まわりは20代とおぼしき若者ばかり。
右隣の学生君は、ずっとチャットをやっている。
顔は無表情なのに、書いていることは感情一杯。
ちょっと笑ってしまう。
左の若者は、ヘッドホンをつけてアニメばかりを見ている。
光ファイバーは、さすがに絵が滑らかだ。
おっと、これじゃ単なるのぞき親父になってしまいそう。
しかし、こういうネットカフェのパソコンって、いろいろなメーカーのマシーンがあるので、そのたびごとに軽いとまどいがある。
実際、今日の私はかな入力をローマ字入力に変えるのに一苦労。
貴重な5分間をヘルプめぐりに使ってしまった。
同じウィンドウズ系なのだから、キーボードぐらいは共通化してほしいものだ。(私は基本的にマック党なので、尚更設定に慣れていないのだ)
しかし、30台ほどあるパソコンに向かっているのは本当にみんな若者ばかりなのだ。
白人が2?3人。
何でおっさんやおばはんはおらんのやろ?
こういう場所に壮年世代があたりまえのようにいる時代になったら、初めて日本もインターネットが普及したということになるような気がする。
今は、ただ皆珍しいから(あるいは持っていないと恥ずかしいから)保有しているにすぎない時代というわけだろう。
よく、仕事には使うがプライベートには使わないという人がいるが、そんな態度で習熟するはずがない。
プライベートと仕事をインターネット利用で分けられるものなら分けてみろ。
そういうものが混在するのがインターネットなのだ。
一々プライベートと仕事を選別しながら、インターネットを使っていたら、そのために余計な手間と時間を費やしてしまう。
それぐらいなら、最初から使わなければよいのだ。
会社で社員がインターネットを使うのを嫌がる管理職もいる。
一見、社員が仕事をしているように見えるので、就業態度の管理がしにくいなどという。
馬鹿馬鹿しい。
仕事はアウトプットがすべてである。
インプットで何していようと、結果さえ出せればそれでよいのだ。
一見仕事をしているようにみえるのは、だらだらした環境を見せるよりいいではないか。
会社は、結果として社員に仕事をしてもらえばよいのだ。
そんなこといっていたら、営業など外へ行ったら何をしているかわからない。
まったく、日本の企業社会というのは、どこまで建前主義を貫くつもりなのだろう。
さて、そろそろ次の場所に移動しないといけない。
とりあえず、今日もごあいさつ代わりの更新でございました。
昨日は汚い居酒屋で、ジャンクな食い物を死ぬほど食い、ビールや酒を前後不覚になるぐらいに飲んだが、お勘定が一人2500円だった、その値段に益々クラクラ。ガード下の人情一杯居酒屋であった、安部邦雄