ふう、東京に戻って最初の更新です。
でも、様々な資料作りとか、関係者へのメールを送ったりしていたら時間がどんどん過ぎて。
第一、近頃旅から帰ると、身体が無茶苦茶えらいのに気がつく。
前は、出張帰りでも、頭はびんびんに働いていたのに、今は身体の底から「無理だよー、今日はやめようよー」とオブジェクション。
それでも、無理矢理続けようと思うと、運動神経系を思いきりバイブレーション。
うわあ、キーが打てないー!
というのは、大袈裟だけど、しかし年と抗うのはほどほどにせんとあきまへんな。
さて、お約束の「間違いだらけのコミュニティFM」、今日は簡単な導入編。
掲示板2chのラジオ番組の欄にコミュニティFMのスレッドが立っている。
中で、NPO主導で京都三条に作ろうとしているコミュニティFMが話題になっている。
理念ばかりが先走って、すでに放送局作りは暗礁に乗り上げているというような投稿が多い。
やはり、NPO的な理念をふりまわすのでなく、スポンサーがつきそうな編成を優先すべきだという意見が強く出されている。
そうですね、コミュニティとはいえ、広告放送をビジネスモデルにしているのだから、一番考えないと行けないのはスポンサーであることに間違いはありません。
スポンサーのいいようにされるとか、結局やりたくないことをやらされる、などという被害者意識が放送マンがあっては広告放送は成り立たない。
要は、どうやってスポンサーのニーズに合わせながら、放送局としての矜持を失わないかだろう。
これは、従来のラジオ局にとっても、何度も出て来た課題だ。
スポンサーのニーズにあわせれば、確かに売り上げは上がり、番組の制作費も潤沢になる。
その気になれば、中味のある内容も可能になる。
しかし、スポンサーと番組は、二律背反的なところが常にあり、スポンサーが口出しをすればするほど、リスナーは去ってしまい、さりとてリスナーに迎合していると、スポンサーは去ってしまう。
微妙なバランスの上に、日々の編成が形づくられる、それが放送局なのである。
京都三条のように、確かに編成ありきだけでは、放送局の運営はできない。
しかし、編成をないがしろにして、リスナーはつかない。
しかも、放送局を志す連中は、誰でもが自分の理想を持っていて、なかなか他者との妥協を好まない。
金ももらえないのに、何故、自分の理想を捨てないといけないのだ!
放送局経験者と言う人程、こういう種類の不満を持つようだ。
さて、どうするべきか。
続きは、明日のこの時間・・・かな?
すみませんね、まとめる時間が全くなかったので、中味のある話は明日以降に、て、このセリフいつも使っているような、、、安部邦雄