ある放送局の話。
最近の不況がもろに経営を直撃。
昨年度比、70%という惨状に危機感を抱いたある役員、「おまえらには任しておけない、私がプロデューサーをやる」と宣言。
制作会社を集め、若い層に支持されるような番組の企画書を出せと訓示、すべては私が差配する、制作費はそれ相応に出すと。
制作会社も苦しいことに変わりはない。
高かろうと安かろうと仕事が欲しいからどんどん企画書が集まってくる。
それ見ろ、俺が言えばこれだけ企画書が集まるのだと現場に言うが、どれもこれも箸にも棒にもかからないような企画ばかり。
困ったにわかプロデューサー、改編期も迫るのでその中からまだましな企画を仕方なしに採用。
大々的に改編プランを打ち出すモ、市場はほとんど反応なし。
リスナーは、「これなら前の番組の方がましだ、二度と聞かない。」と悪評ぷんぷん。
孤立する役員のにわかプロデューサー。
現場に、お前らが悪い、何故もっと俺に協力しない!とやつあたりする今日この頃。
何か、放送プロデューサーをなめているとしか思えない、経営者が多すぎないか?
私がいた放送局、社員を処遇すると称して、当時はやりの専門職制度を導入したことがある。
ラインのヘッドにはできないが、高級なスタッフとして処遇するというのが専門職。
早い話、人をまとめる力もリーダーシップもない社員を、何らかの役職につけないと士気が落ちるだろうというので作った制度だ。
役職名がプロデューサーだった。
私は当時まだ20代の花形(?)ディレクター。
プロデューサーにリーダーシップのない奴置いてどないすんねん、の文句。
あのな、プロデューサーいうのは、名目やないねん。
人脈、見識、業界の知識、世間の風を常に意識している感受性、ディレクターの育成、責任者としての仕切り上手、金勘定の確かさ、そして何にもまして人への愛情。
ラインとしての能力がないから、プロデューサー?
アホ抜かせ!プロデューサーという名を汚すな、ぼけ経営者!
ぼけ経営者は、悪態をつく私に言った。
「お前、明日から営業じゃ」
嘘のような、本当のような、やっぱり嘘のような話でした。
最初にとりあげた役員は、やっぱりボケ経営者の一人と言うわけだろう。
何の経験もない奴にプロデューサーなどできはしない。
プロデューサーが、あたかも人の上でふんぞリ返っていられると思う人がいたら、それは大きな誤りだ。
本当のプロデューサーは縁の下の力持ちに近い存在だ。
確かに、パーティだとか、どこかの会合等で挨拶とか、色んな人と名刺交換等しているので、さもどこぞの役員のように祭り上げられているように思っているかもしれないが、本当のプロデューサーの仕事はそんなところにはない。
日本テレビの今をときめく土屋プロデューサーにしても、元フジテレビの横澤プロデューサーにしても、普段はマスコミで騒がれている程はチャラチャラしていないはずだ。
そんな態度では、あれだけの番組は作れない。
電波少年の類いの番組は私はあざとくて大嫌いだが、ああいった番組を企画し、そして全く相手にされない数字しかとれない時代を経て、今の成功を勝ち得るまでにどれだけの修羅場があったか、それは誰もなかなか知ることはないだろうと思われる。
人は、たいてい結果しか見ない。
プロデューサーにとって、結果は次のステップでしかない。
仕事はいつもプロセスなのだ。
それをわからない人に、プロデューサーはできない。
おい、あほ役員よ。
お前にプロセスがイメージできるか!?
色んな放送局の人と意見を交わしていると、この業界の閉塞感がひしひしと伝わってくる、昔はそれでもよかったのだろう、でもそんな時代は、もう終りなのだ、安部邦雄