ワープロ、ワードプロセッサーの略である。
私が始めてワープロに接したのは、1983年頃だった。
和文タイプライターのコンピューターバージョンという位置付けだった。
大学時代、私はCAI(Conputer Assisted Instruction)というコンピューターによる教育プログラムに接した為、コンピューターを使うのは、他の人よりも比較的早かったはずである。
それでも、その当時、日本語で書類を作るのは、コンピューターによってではなく、和文タイプライターによってであった。
コンピューターはあくまで計算をする機械だった。
文章を書く為の手段ではなかった。
英語は、簡単にコンピューターに置き換えることができた。
しかし、日本語は漢字、カタカナ、ひらがななどが複雑に構成されていて、とてもコンピューターでは使えないと思われていた。
ところが、83年のワープロの出現である。
やはり、単純に驚いた。
よくも、日本語をコンピューターで制御できるようになったものだ。
人間の英知、いや日本人の英知に脱帽した。
私は、早速会社にワープロを買ってもらい、自分の企画書や番組のフォーマットをワープロで作ったりした。
ほとんどの人は、まだワープロを清書の道具として認知していた。
女子事務員に、まるでコピーを頼むかのように、「あ、これ、ワープロ打っておいて。」などと命令していた。
違うんじゃないかな、と私はよく思ったものだ。
自分で打たないと、こういうものの使い勝手はわからないよ、と。
ワープロ全盛時代は、ついこの間まで続いていた。
年賀状は、どんどんワープロ仕様のものが増えていったし、ワープロぐらい打てないと、色んな行事の幹事も出来ない等と、言われたものだった。
いつのまにか、パソコンがどんどんワープロに迫っていることに気づかなかった。
一太郎というワープロソフトはどんどん自己革新を進めていたし、マックのことえり、マイクロソフトのワードなど、知らぬ間にワープロの使い勝手を上回るようになっていった。
そして、21世紀。
ワープロは、軒並み生産中止だそうである。
悲しいかな、ワープロは日本でしか使えない。
日本語でしか、ワープロは動かないのだ。
アジアの国々に中古品を輸出することもかなわない。
シャープの書院、NECの文豪、ええと、他にも名前があったはずだが、もうどんどん忘れてしまっている。
ワープロはどこへ行くというよりも、どこへ行ってしまったのかと言う感じ。
ワープロで作ったたくさんの文書をおさめたフロッピーディスク、もう何の役にも立たず、引き出しの中で無用の存在を悲しんでいるようだ。
時代はかくも非情に流れて行く。
そのうち、今このようにキーボードを叩いているマックも、何の役に立つこともなく、どこかの倉庫にたなざらしされるのかもしれない。
♪おお、悩み多きものよ、時代は変わって行く、すべてのものが、あらゆることが?
何か人間もワープロのようにどんどん役に立つこともなく、社会の記憶から忘れ去られることだろう。
その果たした役割を、もはや誰も評価することもないのが、私にはちょっぴり切ないことだと思えて仕方がない。
時代のセンチメンタリズムは後の世代には伝わらないのが人生かもしれない、ちょうど全共闘運動がもはや何の共感も得られないのと同じように、安部邦雄