インターネット・ビジネスを始めようとしている人たちと会う機会が昨今増えた。
ほとんどの人が、システムを作ろうとしている。
このシステムを採用すれば、こんなに便利になります。
ユーザーがこういうことをしたい時は、瞬時にこういった情報が手に入ります。
こういうシステムを開発したのは、今のところ私どもだけです。
等と説明されることが多い。
仕方がないので、いつも礼儀のように私はこう聞く。
「コンテンツはどこから調達されるのですか?」
コンテンツに投資する余裕がないので、是非そういうコンテンツをご紹介いただければ、などと話されたりする。
コンテンツって、そんな安易なものだろうか?
コンテンツって、多分基本は1つ何だろうけど、それをどう言うインフラを使うのか、端末は何なのかで具体的な形はちがってくるのではないかと私は思う。
アウトプットとして出される時に、最高の形になるためには、各々の方程式が存在すると思うのが自然ではないだろうか。
例えば、PDA(ザウルスとかパームとかみたいな掌型携帯パソコン)という端末で、効率的にコンテンツを得ようとするなら、そのための方程式というものが必ず存在するはずだ。
その方程式は、パソコンと同じでもないし、携帯電話と同じでもない。
それぞれの属性、使用環境、用途など、さまざまな変数によってコンテンツ自体が最適な形に修正する必要が出てくる。
この方程式を解き、例えばPDA専用のコンテンツとして完成したときは、おそらくそのコンテンツがコンテンツとして極めて重要なもの(キラーコンテンツ)になるはずである。
昨今は、PDAを電子ブック(つまり携帯型本)として使用したらということで、色んな小説コンテンツなどが売られるようになっている。
しかし、これは方程式を完全に解いたとはとても思えない。
本は、本で読みたくないだろうか?
何もPDAという形式にしないと読めない性質のものではなかろう。
大して便利でもなければ、その読書スタイル自体も全くオシャレではない。
これで、方程式が解けましたと思っているところが、PDAがほとんど普及しない理由の1つなんだと私は思う。
結局、問題はコンテンツなんですよね、なんて簡単に言う人も多いのだが、コンテンツなんて探せばいくらでもあるというのが私の意見だ。
ただし、方程式が解けないままコンテンツを注ぎ込んでも、誰も使わない、誰も買わないだけということを自覚するべきなのだ。
方程式というのは、私がよく言うコンテクストと同じものを指していると言っていい。
コンテンツをあるシステムにインプットし、そのままアウトプットすれば、ビジネスになると思う方がどうかしているのではないか。
インプットされたものを、端末に合わせた形に変容し、最適化してアウトプットするというプロセスがなければ、ユーザー無視もいいところである。
コンテンツ、コンテンツと騒ぎ、馬鹿高い権利料を払って手に入れても、アウトプットした向こうに客はほとんどいないことに、ネット業者は早く気づくべきだ。
大事なことは、方程式を見事に解くこと、そのための忍耐強い努力なのである。
システムを作ったのでコンテンツを世話して下さい、等と言う発想では、100年経っても、ビジネスにはならないということ、繰り返しになるが私は心から強調しておきたい。
読売巨人軍の試合をキラーコンテンツとして大々的に打ち出すとか言っていた、日本テレビのCS放送、しかし、巨人のファンが金を出してまでテレビを見るだろうか?地上波でただで見れるものをわざわざ金出して、なんて私には考えられない。むしろ、千葉ロッテとかだったら金出してでも見たい人がいるだろうが、安部邦雄