考えたら、個人的には一度も御中元というのを贈った記憶がない。
実家の親に贈るとか、仲人さんに贈るとか、お世話になった特別の方に贈るとか、贈る理由はさまざまなのだろうけど、わざわざこの時期に贈る必然性なんて全くないと思うからか、私はもらうばかりで、贈ったりしたことがないのだ。
そう、贈らないけどもらっているのだ。
お世話になっていると思われる人もいるようなので、別段送り返すような不躾なことはしないが、つくづく贈っても無駄ですよ、と言いたくなるのである。
御中元とか御歳暮とかもらって、その見返りとして何かするかというと、見事にそれが理由で何かしたなんていうのは記憶にない。
番組の制作をやっていた時が一番数が多かったような気がするが、「あ、そう、どうもありがとう」で終わりだった。
それを理由に仕事をまわしてくれなどと言う相手の思惑を感じないでもなかったが、それは実力勝負、力のない奴を採用して後で迷惑するのは自分なのだから、そんな情実で何かをするなんてあり得ない話だった。
ただし、会社員としては職務として御中元を贈ったことはある。
営業時代、御中元は大事な行事として位置付けられていた。
品物も3つぐらいのランクがあり、課長がそのリストをまとめていた。
で、そのシーズンになると、課長からクライアントの新しい名簿を提出せよと命令が来る。
従来からのクライアントに対しては、従来のランクを上げるかどうかの判断が必要だし、住所変更(必ず御自宅に贈るのが基本)があれば、それも再確認しないといけない。
新規のクライアントは、ランクの選定と御自宅の住所の聞き出しが必要である。
この時に、その人が御中元を受ける人かどうかもチェックしないといけない。
謝絶なんて言われて、送り返されることは営業マンの恥なのである。
それぐらいのクライアント情報をもてないようでは、営業マン失格、一体毎日何を考えてクライアントと接していたのかということになる。
かといって、本人に御中元を受け取るかどうか聞く営業マンがいたら、即刻退場ものである。
本人に聞いたりしようものなら、まず課長のビンタが飛んで来てもしかたがない。
非礼なのである。
こういう行事ものとか、儀礼ものは、しきたりが色々とある。
それを破るような奴は、行事に参加する資格なしなのだ。
それゆえ、こういった資料をまとめる課長の立場になると、御中元ごときなどという軽々しい発言は絶対にできない。
目の色を変え、残業もいとわず、ひたすら資料に書き込みを入れていた姿を思い出す。
こんな金にもならないことに精出すなんて、本当に無駄だなあと思ってはいたが、儀礼とあらば間違いは絶対に許されないという心構えで任にあたらないといけない。
ご苦労様なことである。
しかし、そうやって営業マンとして贈る立場に会った私だが、御中元をしたからといって、何か得をしたという経験は一度もない。
お決まりのお礼状を一通もらうだけである。
このお礼状もすごい。
何といっても、全部自筆でないといけないのだ。
挨拶状なら、印刷ですませられるが、御中元のお礼状はお決まりの長ったらしい文章をすべて自分の字で書かないといけないしきたりが存在するのだ。
ビッグなクライアントになると、一部屋が一杯になる程、御中元が来るらしい。
その一人一人に礼状を書くなんて、正気の沙汰とも思えないのだが、ま、それも立場が立場だけに仕方のないことなのだろう。
たいてい、奥様がお書きになるらしいのだが、それでも大変だろうなと同情したりする。
虚礼廃止なんて言葉を聞いて久しいが、いまだに続く御中元に御歳暮。
なくなってしまえば、それを売る側が大打撃を蒙るのは必死だから、やめるにやめられないのだろうが、実際のところ、贈ったところで大した利益も戻って来ないのは事実だろう。
さて、この御中元という行事、あとどれぐらいの年月、続いて行くものなのだろうか。
年賀状が廃れれば、同じように消えて行く種類のもの、というところかもしれないね。
今までもらって一番嬉しかったもの?う?ん、やっぱりボクサー型の下着かな、安部邦雄