また間違った。
鉄道員の主人公は乙松であり、丑松ではなかった。
丑松は、島崎藤村の「破戒」の主人公だった。
お詫びして訂正をば。
映画「鉄道員」のことについて、昨日えらく辛口のことを書いたが、大体読者はおわかりのように、私自身相当の鉄道オタである故かもしれない。
子供の頃、近鉄南大阪線(当時は阿倍野?河内長野)の線路沿いに住んでいた。
家の前が、ちょうど踏切で、当時はまだ踏切小屋があり、そこに踏切番のおじさんがいつもいた。
興味津々の子供盛りである私は、よく踏切小屋に遊びに行き、おじさんからお茶を入れてもらいながら、電車の話をずっとしてもらっていた。
あれが、急行で、あれが各駅停車だ。
あの急行電車は河内長野までいくけど、各駅は矢田までしか行かない。
あれは、河内天美行きだ。
遮断機を上げたり下げたりしながら、おじさんは電車の説明をしてくれた。
この人も、きっと「ぽっぽや」の一人だったんだろうなと今は思ったりするのだが。
踏切の思い出はたくさんある。
でも、それは又いつの日にか話させてもらうことにしよう。
昨日、高倉健さんを強すぎる人と表現し、乙松の「鉄路に生きるしかなかった人間の弱さ」を表現できていないと書いた。
そうなのだ、高倉健さんは自分で自分の道を切り開くことができる「強い」タイプの人だ。
でも乙松はそうではない。
1つの組織に入ったら、もう自発的にその環境から抜け出すことができなくなるタイプと言えるだろう。
世界が、その組織を通してしか見れなくなるタイプ。
だから、違う視点で社会を見ることもできなければ、その社会から抜け出る方法もわからず、その社会が崩壊すれば、ただ右往左往し、最後は無気力になっていくタイプの人間だ。
もし、彼が強い人間だったら、子供を結果的に殺してしまうような馬鹿な選択(仕事を優先し、子供のケアに無頓着であった)はしなかっただろう。
人生のプライオリティを明らかにすることに努め、何ごとも業務が優先するのだというような、教条主義に陥ることはなかったはずだ。
自分という存在を、組織や社会よりも常に劣位にしか置けないタイプなのだ。
だから、家族さえも組織の犠牲にしてしまうのだ。
それこそが、社会的存在としての人間の弱さだ。
自覚的である人は、何とかその弱さを克服しようと葛藤し、それを乗り越える術を追い求めるだろう。
それが強いタイプの人になる。
高倉健と言う人は、そういう人だ。
でも乙松は違うのだ。
単なる頑固な職人が、滅私奉公ゆえに悲劇を呼んだと考えてはいけない。
彼は、自己を組織から優先する勇気のない、へたれの組織人でしかなかったのだ。
悲劇は、悲劇として実に涙があふれるほど悲しい。
しかし、その悲劇を止める術はあったはずなのだ。
だが、それは彼の心の弱さゆえに実行に移されなかったと考えてよいはずだ。
そこでふと気づくはずだ、今の世の中、こんなタイプが意外と多いのではないか。
1つの会社に入ったら、ずっとそのまま。
与えられた職務、役職に自分の身を委ね、定年まで自分のスタンスを変えることもなく、うまく行けば役員にと思っていても、実際なってみると、それから何をしていいのかわからなくなるタイプ。
会社名や取締役、社長などの肩書きをただ他人に見せびらかすしか、結局何も自己表現を持たないことに気づき、それでも自分は精一杯やったと思うしかない、そんなタイプ。
結局、あなたは何をやったのだ。
ただ、ある会社で与えられた仕事をこなし、その社会の中で金を得、地位を得、そして肩書きを得た。
そして、その社会からおさらばした時に、一体あなたに何が残ったと言えるのだろう。
思い出か。
それとも、若かった頃の精一杯働いたという郷愁か。
乙松は死んだ。
後に残るものに、彼自身の高潔さは語り継がれるかもしれない。
しかし、彼自身は結局自分の人生をプラスと言う形で終えたとは思えなかっただろう。
娘を殺し、妻さえ殺してしまった。
こんな心残りが、他にどこにあろうか。
同世代の仲間連中が、不況の中でもがいている、今までと同じスタンスでは段々生きることができなくなった、今からの人生はおまけみたいなものでしかない、彼等の表情には諦めがシミのように顔に浮かんでいたりする、この鬱気分は何なのだろう、安部邦雄