結局、日曜日の更新はできなかった。
プロ串がささってるとか、ささってないとか、そんなの知るか。
サーバをルータ代わりに使うのは無理なんだって。
ルータ買ってこいよー!
ま、それは内々の話。
昨日、書こうとしていたのは、「人体の不思議展」について。
今、大阪の新梅田シティミュージアムで開催中の展覧会だ。
私は「唯脳論」を書かれた養老孟司さん(解剖学者)の愛読家で、前からこの展覧会を推薦されていたのだ。
ここに展示されているのは、作り物ではない。
本当の人体である。
多くは中国で献体されたものだという。
血を抜いて、樹脂を代わりに注入する技術(プラストミック標本という)により、常温で保存できるようになったと養老氏は書いていた。
人は自分を肉体と感じられず、おそらく自分の肉体すら深くは知らないだろう。
人は自分を心だとみなす。
しかし、それは幻想にすぎない。
死体こそ、あなたの形なのだ。
脳の中のあなたは、1つの抽象にすぎない。
一度、そこにある人体を自分だと思ってみてほしい。
養老氏のメッセージは今強い光を放って、私の脳の中を毎日走り回っている状態だ。
へえー、そうだったのかあー。
でもねえ、よくわかりませんねえ・・・。
ま、今の私はこの程度だ。
で、前から行かなくてはと思っていた「人体の不思議展」に行って来たと言うわけだ。
驚いたことに人で一杯。
7割が若い女性というのも驚いた。
怖いもの見たさというのだろうか、色んな標本を手で引っぱったりしながら、きゃっきゃと笑っている。
とにかく、触るの自由なのだ。
脳だって手にとって、重さをはかることができる。
死体に対する冒涜だなんて誰も思っていない。
これだけあっけらかんと死体を置かれると、誰も恐怖は感じないようだ。
お化け屋敷と同じなのだろう。
ここには本当の霊なんかいないのだろうか。
心霊写真を怖がる連中が、バラバラにされた死体を見ても何故怖がらないのだろう。
それとも、こんな明るいところで、こんなに大勢の人がいたら、自分に霊がとりつくはずないだろうと思っているのだろう。
皆で渡れば怖くない、のひとつかも。
こんなところに曝されて無念ではなかろうかと思うのだが、献体を自分で申込んだ人ばかりなので良いそうだ。
うう?ん、私には、このあたりの心理がよくわからん。
東京でもこの人体展はやっていたと思うのだが、大阪ほど話題になったと言う記憶はない。(たしかMM21で見たような)
大阪人は好きなんだろうか。
夏やし、いっぺん人体展に涼みに行こか?てなものか。
実は、この人体展を主催した人は私も知っている人なのだが、このイベントを企画した時は半信半疑だったとか。
色んなイベントをやったのだが、バブルがはじけて以降どれもうまくいかない。
借金だらけになっていたのが、この半信半疑企画が大当たり。
今や、このイベントだけでそこそこ生きていけるようになったのだとか。
こうなると、死体様々だろう。
充分弔いを欠かさないようにして下さいね。
でも、考えたらぞっとすることも多かったなあ、特に心臓から出ている動脈が水道のホースより太かったのに驚愕、あんなに血が心臓から出ていると思うと、何ともはや..安部邦雄