テレビのデジタル化はよくニュース種として紹介されているのだが、ほとんど紹介されないのがラジオ、音声放送のデジタル化だ。
具体的には、どうなっているのか?
把握している範囲では、一応来年から、東京、大阪で実験放送が開始されるらしい。(延期される可能性もなきにしもあるず)
ただし、テレビが2011年をもってアナログ放送を終了させる方針であるのに比べて、ラジオはこの方針を撤回してしまった。
民放連音声部会が、総務省に要望した結果である。
民放連は、既得権者として何だかんだと政府に陳情をかけている。
「このままでは、長い間育てて来た日本の放送文化が壊滅してしまいます。助けて下さい。」
実際に陳情をしている場面を見たことはないが、交渉に行った人のニュアンスではこんな感じらしい。
放送局がどんどんつぶれると、困るのは総務省ですよ、という脅しも添えてあるらしい。
とはいえ、相手の官僚も実際のところ放送局が次々に破綻する頃には、異動で違う部署に移っていると信じているから、本質的にはどうでもいい、というのが本音だろう。
10年程前の大蔵省の銀行局の官僚なら、今のように銀行が次々につぶれるなんて思いもよらなかったはずだ。
可能性は感じていたはずだが、リアリティは全くなかった。
今の財務省の役人にすれば、銀行なんかいつつぶれてもおかしくない存在に見えているはずだ。
人の常識なんか、いつも同じとは限らないというわけだろう。
で、放送業界。
銀行と同じ状況になりつつあるという分析もあながち間違ってはいまい。
つまり、今放送人が抱いているイメージが、社会の変化とともに崩壊しつつあるということだ。
電波を寡占化し、スポンサーに高い値段で売りつけることによって、他では考えられないような高収益の会社経営が可能になっている、それが放送局なのだ。
ビジネスモデルは、時間をスポンサーに売るという極めてシンプルな構造だ。
スポンサーは、代理店が連れて来てくれる。
放送局は、客をきっちりとつかみ、媒体価値を維持していればよかった。
放送局なんて、今話題の特殊法人の経営とたいして変わらない。
ほとんどが、どんぶり勘定の経営をしている。
私のいた放送局でも事情は全く同じ。
いまだに、役員の中でまともにバランスシートを読めるのは経理担当重役だけである。
しかも経理しか知らないから、日本の放送局が今後どういう運命を辿るかなどということには、はなから興味がないらしい。
ラジオにはもう未来はないよ、口々にそう言い合っているのが現状だが、じゃあ、未来がないラジオをどうすれば未来があるようにするのかには、何の答えも持っていない。
おれたちは、もう先がないから、とにかく後10年ぐらいもってくれればいいよ、などと言っている。
団塊の世代は、逃込み世代であると前に私が言ったそのままである。(食い逃げ世代、なんて表現した週刊誌もあった。)
みんな、結局わかっているのだ。
放送をデジタル化するということは、既得権益の崩壊につながるということを。
デジタル化すれば、新規参入者が増加し、激烈な競争社会になる。
規制に守られていた放送局には、過度な競争にはとても耐えられないのだ。
だから、放送局の人間はどこか諦めている。
競争社会が本格的に始まるのを、できるだけ遅らせることしか手立てが見つからない。
アパシー、早い話、職場に流れる空気はそういうことだ。
特殊法人と同じということ、わかっていただけると思う。
だから、私がいくらデジタル時代の放送局はこうしないと、と忠告しても、まともに放送局はとりあってくれないのが実情だ、そうかもしれないけど、今は従来通りにやって、少しでも長く今の体制を維持するしかないと彼等は思っている、変にこちらから体制を変えると、結局は叩かれるだけ、出る杭は打たれるのは嫌だ、ということらしい、安部邦雄