羽田空港に用事で来て、ついでにしばらく飛行機の離発着を眺めていた。
今日は、古い滑走路を着陸に使い、沖に拡張した新滑走路を離陸に使っている。
次々に飛行機はどこからか飛んできては着陸し、どこへ向かうのかわからない飛行機がどんどん離陸していく。
列車だと、行き先が先頭や側面に表示されているので、どこから来たのか、どこへ行くのか分かりやすいのだが、飛行機には残念ながらそんな表示はまるでない。
どこから来たのか、どこへ飛んでいくのか、見ているものにはさっぱりわからない。
デッキで物見遊山に眺めている連中に行く先を教える義務なんかないということだろうが、できればどこかの部分のライトの色で大まかな行き先がわかるようにしてもよいのではないか。
沖縄方面とか、九州方面とか、北海道とか、北陸方面とか、という風に。
羽田なんだから、国際便なんてほとんど存在しないわけだし、何か考えてほしいものだなあ。
しかし、離発着を見ているのは本当に飽きない。
いろんな機種がその機種特有の離発着をする。
昔、DC?9と表示され、今はMD?87と名前の変わった機種の離陸を見ていると、他の機種と比べ、あっという間に車輪を格納し、一本のペンシルのように上昇していくのが印象的だ。
近距離路線でよく見られる機種で、20年ぐらい前にオアフ島からマウイ島に飛んだときの往復もこれだった。
ハワイアン航空だったかな、驚いたことにコックピットのドアが開けっ放しだった。
パイロットも実に雑に操縦していたし、スチュワーデスも田舎のバスの車掌みたいな振る舞いだった。
きっと、この人たちにとって、飛行機もバスも同じようなものだったのだろう。
そういえば、搭乗客も到着順に適当に詰め込んでいたような気がする。
上空で、サービスとしてジュースが配られたが、これがとんでもない飲み物。
水にオレンジ色の香料をつけて砂糖を混ぜたような味だった。
しかも、私は飛行機が途中でゆれたため、膝にドパーとジュースをかけてしまった。
このジュース、始末の悪いことに拭いても拭いても色が落ちない。
すぐに色落ちする服を売っているくせに、こういう時はなかなか色が落ちないのはどういうわけだ。
そういうわけで、私はこのMD?87にはあまりいい思い出がない。
そうそう、マウイ島から戻ってくるときに、天候がどうたらこうたら(なまりの強い英語のため、何言っているのかよくわからない)と言って、なかなかホノルル空港に降りず、オアフ島をぐるぐる回っていたのを思い出す。
おかげで、空の上から真珠湾のアメリカ海軍基地がよく見えた。
対潜哨戒機がズラーと並んでいた。
今でいうP3Cみたいなものである。
ついでに爆撃してやろうか、と私の心に潜む日本軍の亡霊が囁いていた、というのは嘘だけど。
飛行機を眺めていて飽きないのは何故か。
多分、あそこには夢が詰まっているからだろう。
遠い国の空気をのせた飛行機が、私の住む場所へやってくる。
私の住む場所の空気をのせた飛行機が、遠い国へと運ばれていく。
空気は夢と言い換えてもいい。
だから、わくわくするのだろう。
このわくわく感が、とても大事な気がする。
わくわくする気持ちがある間は、人はどんなことにでも耐えられるのではないかと思う。
辛いこと苦しいことがあっても、空港に来ればそれは少しは和らいだものになる。
空港だけではない。
東京駅とか新大阪駅などのターミナル駅に行っても同じだろう。
名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実ひとつ
ふるさとの岸を離れて なれはそも波に幾月
この歌と心は同じだろう。
いいなあ?俺もどこかへ行きたいなあ?
50歳をすぎたオッサンが1時間以上もぼーと飛行機を見ているなんて、気持ちが悪いといわれそうな、安部邦雄