昨日は仲秋(中秋)の名月だったそうな。
東京ではあいにく曇り空。
この歳まで、月を観賞する機会を一度も持たなかった私は、月が出ようと出まいとあまり気にはしなかったが、毎年お団子をそなえ、ススキを生ける風習のある家では、さぞやきもきしたことだろう。
月にお供えするというのも、やはりアニミズムの一種だろうか。
秋の実りを神にささげ、無病息災をお祈りする。
昔からの素朴な信仰であると考えれば、何となく理解できる風習ではある。
月が歌のタイトルになっていることはよくある。
古いけど「月がとっても青いから」は、いまだに夜、月明かりの下を散歩する時など自然に口について出る。
♪月がとっても青いから 遠回りして帰ろう
子供の頃、親と銭湯に行く時、よく母が歌っていた。
何故、月が青いと遠回りするのか、その頃の私はさっぱりわからなかったが。
時節がら、思い出すのが「月の法善寺横丁」。
藤島恒夫さんのヒット曲である。
ただし、こちらの曲は「月の法善寺横町」と書くのが本当は正しいそうだ。
桂米朝さんの話によると、大阪では「よこちょう」という言い方はないらしい。
すべて「よこまち」と呼んでいたそうな。
だから、法善寺横町というのは、「ほうぜんじよこまち」と本来は呼んでいたことになる。
そういえば、上方落語の古典には「よこまち」という言葉は良く出てくる。
「ほうぜんじよこちょう」という言い方は、おおかた東京から来た言い方だろう、とおっしゃっていた。
大阪には、横丁の御隠居などというものも存在しないらしい。
ついでに、広辞苑で調べてみた。
よこちょう[横町]:表通りから横へ入った町筋 よこまち
だそうである。
横丁というのは、慣用的な使い方らしい。
語源的には、関西から関東に言葉が移るに連れ、よこまち(横町)→よこちょう(横町)→よこちょう(横丁)と変化していったのではなかろうか。
ま、素人の邪推と言われればそれまでだが。
藤島恒夫さんの「法善寺横町」の話に戻る。
これも、私が大阪のミナミに行くと、つい鼻歌まじりに口ずさむ歌の1つだ。
こいさんが、わてを初めて法善寺につれて来てくれはったのは、『藤よ志』に奉公に上がった晩やった?
♪包丁一本?さらしにまいて?
なかなか、ええ歌です。
しかし、その法善寺横丁も大部分が焼けてしまったそうだ。
復興するためには、建築基準法(かどうか知らないが)が邪魔をするらしい。
前のような町は2度と作れないとか。
人間は誰も反対しないのに、法律だけが異義を唱える。
いつから日本はこんな法万能社会になったのだろうか。
昨日は、大阪は月見ができたそうだから、さぞ地元の人も名月を見ながら涙にくれたことであろう。
ていうか、考えたら法善寺横丁から月なんて見えへんのちゃうの。
あんな狭い空間から、空が見えるか?
よう考えたら、この歌、何か変やなあ。
藤島恒夫さんには、申し訳ないことを一度しました、新幹線で私の前で眠っておられるところを、私は足で藤島さんの頭をけったことがあるのです、迷惑そうな顔をされて振り返られましたが、全然怒られませんでした、私、実はその時謝っていないのです、本当、申し訳ない、安部邦雄