若い時はそれほどでもなかったが、この歳になると悪夢を見るのがとても苦痛だ。
朝目覚めた時の心の重さ、だんだん耐えられなくなって行くような気がする。
もっと年老いたら、いったいどうなるのだろうか。
悪夢なんて全く見なくなるかもしれない。
悪夢を見るということは、それだけ感受性がまだあるということだろう。
瑞々しい心が生き続ける間は、悪夢を見ることは避けられないと思うべきかも。
悪夢には幾つかのパターンがある。
一番いやなパターンは大学生の頃の体験が混ざった夢。
下手すれば殺されるという状況で、ただただ逃げ回る私。
追い掛ける連中は、だんだん包囲網を狭め、そして私を見つけそうになる。
やばい、殺される!
そして、目がさめる。
寝起きがすっきりするわけもない。
逆を考えた。
例えば、何かの拍子で人を殺してしまった。
(現実にそんな人は相当数いるだろうが。)
そして、逃げ出した。
今も逃亡中。
いつ、つかまるか気が気でない。
逃げている間は、何度でも追い掛けられる夢を見るに違いない。
実際に人を殺しているのだから、相手の顔も、また殺した時の情景も、何度なく出てくるだろう。
人を殺したことによる法の罰からは逃れられても、自分が自分に課す夢の罰からは逃れられまい。
人生こそ悪夢そのもの、悔やんでも悔やみきれないことだろう。
だから、本当は有罪なのに逃げ切れている人を卑怯とのみ考えてはいけないと思う。
神の罰は、いかなるところからも落ちてくるものなのだ。
実際に集団で殺されかねないイメージを持ち続ける私は何なのだろう。
これこそが、カフカも描いた不条理そのものだ。
死が不条理なものであるということと、表裏一体なのかもしれない。
悪夢というほどではないが、放送局時代の夢はどれも大変今の私に辛いことが多い。
そんな夢を見るのが辛いのだ。
もう今の自分とは何の関係もない場所で、問題意識に苛まれていたりする。
毎日が綱渡りのように仕事をしていたからかもしれない。
実際には、それほどの失態もなかったが、スレスレ的なものも多かったからだろう。
それを知っているのは、結局自分だけなのだ。
周りから見れば、いとも簡単に仕事をこなしていたように見えていたろう。
憎たらしいやつだ、言いたい放題の上に、好き勝手しやがる。
そんな誹謗だって、なかったとは言えまい。
でも、いつも私はヒヤヒヤだった。
そのヒヤヒヤが今になって我が身を苛む。
もし、若い頃私が勝ち誇っていたとしたら、今、その罰が夢を通して私に落ちて来ているのだ。
今頃、そんな昔の行いに罰を与えられてもどうすることもできない。
それを償う場所など、もはやどこにもない。
記憶の中にある世界で、ただ自分の愚かさを悔いるしかないのだ。
面白いことに、東京に来てからの体験が悪夢となって現れることはほとんどない。
年をとってからの体験はソフィスティケートしやすいのだろう。
私の至らなさゆえ、別れざる得なかった女がいたとしても、その修羅場のような体験すら夢に現れることはない。
体験を、自分の中で合理化出来ない頃、それこそが青春時代だったのだろう。
青春とは、それゆえ悪夢の故郷なのかもしれない。
そんな故郷も、目をさませば、とても愛おしかったりするのだが。
久しぶりに夢見る夢夫さんをしてしまった、安部邦雄