先日実家のある大阪の千林に戻った。
千林とは、今話題のダイエーがうぶ声を上げた街である。
その千林の商店街をぶらつきながら、かってここにあった映画館のことを思い出していた。
20?30年ぐらい前だったろうか。
この千林にも映画館が5つあった。
ひとつは日活を主に上映していた千林劇場。
友達の家が経営していたため、時々見せてもらったものだ。
子供の頃、大人と見に行ったがさっぱりわからなかったのが、「鷲と鷹」という映画。
今でもテレビで放映されたりする映画だが、当時7歳だった私にはチンプンカンプンの映画だったと言う記憶がある。
他に千林セントラルという映画館があった。
二線級の洋画が中心だったと思うが、ここで見た映画で覚えているのは「ソルジャー・ブルー」。
理不尽にインディアンを攻撃する騎兵隊を描いた映画。
テーマ曲をバフィー・セントメリーが歌っていたので覚えている人もいるだろう。
もちろん、彼女の名を知っている人のほとんどは『いちご白書』の「サークル・ゲーム」を歌った人と言う認識だろうが。
千林にあったのに森小路劇場(森小路は隣の駅)という名前のついた映画館もあった。
ここは新東宝系の映画館で、記憶に残っているのは「明治天皇と日露大戦争」。
嵐寛十郎が明治天皇を演じていたのが印象的。
1957年の上映ということだから、これも7歳の頃だ。
他にも、片岡千恵蔵の「二発目は地獄行きだぜ」という映画もここで見た。
1960年の頃で、本来これは東映作品なのに何故かこの劇場にかかっていた。
併映は「月光仮面」だったと思う。
他に江南キネマと大宮東宝があった。
江南キネマは大映系。
学校から映画観賞会ということで「日本誕生」と「釈迦」を見た。
関根恵子とか、松坂慶子の青春モノもよく見た記憶がある。
ガメラとか大魔神とかも見に行ったものだ。
大宮東宝はもちろん、東宝系。
私がSFファンになるきっかけを与えたのもここ。
「宇宙大戦争」はいまだに血わき肉踊る作品だ。
ゴジラ、ラドン、モスラ、色々思い出多し。
併映はクレージーだったり、ドリフだったり。
若大将シリーズもやっていたが、ほとんど見に行かなかった。
何故か一度「寅さん」をここで見たのだが、松竹なのにどうしてここでやったのか。
おそらくその頃には松竹系の映画館がなくなっていたのだろう。
さて、先ほども名前の出た隣の駅の森小路には東映と松竹、それに一線級の洋画を上映する劇場があった。
森小路東映には、時代劇を死ぬ程見に行った。
いつも、日曜日の朝から並んで見た。
映画館はいつも超満員。
東映の時代劇には実は今もうるさい私である。
森小路松竹は、東映の裏にあったが、小学生の私には地味な映画ばかりで一度も見たことがなかった。
「秋刀魚の味」というポスターを見ながら「しゅうとう、うおの味って何のことだろう?」とずっと疑問に思っていたものだ。
小津映画をまともに観賞するようになったのは、大人になってからである。
自分の至らなさを痛感する出来事である。
森小路ミリオン座というのが、洋画系の映画館。
ここでは、ビートルズの映画とかプレスリーの万才シリーズ、シルビー・バルタンの「アイドルを探せ」とか「ジョニーはどこへ」など音楽モノをよく見た。
パット・ブーンの「四月の恋」も思い出深い。
後、ヘップバーンを初めてみたのもここ。
「戦争と平和」だったが、何て可愛い人だとしばらくポーとなったのが印象的。
あ、そうそう、松竹で見た映画があった。
大島渚監督の「帰って来たヨッパライ」とジャガーズ主演の映画「進め!ジャガーズ 敵前上陸」の二本立て。
フォーク・クルセイダーズが出るので見に行ったが、大島渚監督がシュールに作り過ぎていてさっぱり面白くなかった。
話題作を次々に作っていた大島監督だったが、この作品と「東京戦争戦後秘話」は最低である。(本人もこれらの作品についてはほとんど言及せず)
ジャガーズの作品は面白かった。
言うならば、「ヘルプ!」の日本版みたいなもの。
単にまねしているだけなのだが、まねするのって本当に日本人はうまい。
しかし、以上紹介した映画館は今や1つも残っていない。
映画館のないところ、文化の香りがしないと最近思うようになった。
町起こしを考えるなら映画館のひとつはほしいものだ。
とはいえ、今やシネコンの時代、ひとつじゃインパクトはなさすぎるし、第一ペイしないという意見もあるようだ。
デジタル映画だと、それほど設備もいらないし、ネットでデータをやりとりできるそうだから、是非私の住んでいる町にも映画館ができてほしいものです、安部邦雄