最近の新聞、拉致関連とノーベル賞でもちきり。
ついでにアメリカ軍のイラク侵攻とか、昨日あったバリ島の爆発テロ(?)事件とかがある。
アメリカのabcニュースでは、メインは無差別銃撃事件だったが、日本ではあまり話題にされていない。
ノーベル賞関連では、島津製作所の田中さんがユニークすぎて、先に報道された小柴さんがかすみがち。
東大名誉教授も形なしですね。
しっかし、田中さんのノーベル賞って、何が対象になったのだろうか。
未だに私は知らないのだが。
小柴さんは、確かニュートリノ関連だったと記憶している。
ぶっ壊れたスーパーカミオカンデにもかかわったはずなのだが、こちらの責任は問われないのだろうな。
最近、日本人も普通にノーベル賞の選考対象になるようになったというのを実感する。
最近のノーベル賞は基礎実験ばかりでなく、商品化への応用も対象になったからというのも理由かもしれない。
日本人は、発明とか製品化というのはまだまだらしいが、商品化ということについては世界レベルだなんて言っていた人もいた。
製品化と商品化の違いが面白いといえば面白い。
テレビゲームというのを作ったのはアメリカだが、スーパーファミコンとかプレステを作ったのは日本という差だろうか。
マイクロソフトのxBoxが、前者に比べどうしてもがさつに見えるというのがほとんどの日本人の感想だろう。
細かいところに気をくばり、それが製品の差になるというのが日本の凄さというところではないか。
プラズマテレビとか液晶テレビなどの薄型テレビは、圧倒的に日本が市場を制しているという。
携帯電話の機能もおそらく世界一だろう。
日本の製品の面白いところは、誰かが何かを作るのではなく、色んなところから色んな試作品が作られて、それがごちゃごちゃからみ合っている間に淘汰されて、商品化されるという傾向があることだ。
コラボレーションと言うとカッコよすぎるが、意図しないでコラボレートするというのが、日本の特徴かもしれない。
その意味でいえば、NHKの「プロジェクトX」の世界は、何かが産まれる時の一部でしかないのかもしれない。
人が何かを作るのでなく、人を巻き込んだ気分が何かを最終的に形作るというのが、日本の製品化プロセスなのではと思うのだ。
だから、日本で当たる商品を作りたい時は、とにかく試作品を作って、それを集団の中に投げかけることから始めるべきだと思う。
そうすると、同じようなものを作る連中が出て来たら第一段階は終了。
そこからは、無意図的コラボレーションの世界に入る。
最終的に、ユーザーがそれを支持する形になれば、商品化は成功だ。
一人で、あるいは一社で商品化を成功させようなんてのは、少なくとも日本ではやめといたほうがいいと私は思う。
やるなら、アメリカかヨーロッパでどうぞ。
日本に特許等の権利意識が欧米程ではないのは、きっと商品は結局自分達だけで作ったものではないということを、どこかで気づいているからではないだろうか。
日本の凄さって、結局そういったところにあるのではと、最近思うようになって来ているのだが。
日本人は、自分を卑下することが好きな民族だ、それを自虐的等というセンスのない言葉で語る連中がいるが、三歩下がって師の影を踏まずとか、謙譲の美徳とか、そういう性向を否定することには絶対反対だなあ、安部邦雄