残したい日本語の1つ、それが「ときわぎ」という言葉。
漢字で書くと「常磐木」、別名常緑樹である。
昨日、落葉樹の話をして、ついでに思い出したのが「ときわぎ」だったのである。
最近はどうだろう、あまり使わないかもしれない。(というか、この言葉を聞く機会って皆無のような)
クリフ・リチャードの64年ごろのヒット曲に「エバーグリーン・トゥリー」というのがあった。
シングルカットしたのは日本だけだったかもしれないが、当時の「9500万人のポピュラーリクエスト」(伝説のチャート番組)で、ベスト10に辛うじて入っていた。
番組の進行役だった小島正雄さんが、この曲を紹介する時にいつも「では、クリフ・リチャードのエバーグリーン・トゥリー、ときわぎ」と言っておられたのを今も思い出す。
そんな邦題がついていたのがどうかは定かでない。(多分正式にはついていなかったのでは)
でも、「ああ、なるほどエバーグリーン・トゥリーは<ときわぎ>と訳すのか」と納得したものだった。
昔の洋楽は基本的に邦題がついているのが普通だった。
短い英語の場合は別だが、少し長かったり、発音しにくそうな曲は必ず邦題がついていた。
プレスリーの「ラブ・ミー・テンダー」すら「やさしく愛して」という邦題があった。
さすがに「GIブルース」はそのままだったが。(昔はGIと言えばアメリカの兵隊を指していた。今ではGIでわかる人は減る一方だろうが。あ、GIジョーはまだ人気ありそうだが。)
昨年、ビートルズの「ぼくが泣く」という曲を取り上げたと思うが、こちらは「I'll cry instead」の邦題。
「I should have known better」のB面だった。
上の曲はもちろん邦題「恋する二人」である。
同時期の「A hard day's night」が「ビートルズがやってくる、ヤアヤアヤア」だったし、そのB面の「Things we said today」は「今日の誓い」だった。
さて、今の復刻盤にはこんなタイトル、まだついているのかな?
ついでに言うと、映画のタイトルも昔は邦題がつくのが当たり前だった。
「風とともに去りぬ」は「Gone with the Wind」が原題だが、邦題も実にかっこいい。
007シリーズの第一弾は「007は殺しの番号」なんて邦題がついていたのも印象深いのだが、こちらは月日が経つ内に「ドクターノオの島」なんてタイトルに変えられてしまった。
殺しの番号では、教育上悪かったのでしょうか?
しかし、007って、一体何人の人を殺しているのだろう。
可哀想だが、死んだら地獄でえらい目にあわされることだろうなあ。
ときわぎの話がだいぶそれてしまった。(いつものことだけど)
ときわぎという言葉と「おもと」という言葉が何となく対応するような気がするのは私だけだろうか。
こちらは万年青と書く。
園芸用の品種として、ひと昔前はよく家庭内で栽培されていた。
今でいうと、アロエの栽培みたいなものか。(とはいえ、アロエはほっておいてもいくらでも繁殖するが)
常磐木という漢字もなかなかだし、万年青という字も生きる力がみなぎっていていい。
さて、昨日の落葉樹の話に関連してというか、死ぬ為の力について思い至ったことがある。
考えたら、葉を落として冬に耐える構造というのは、企業のリストラにそっくりではないだろうか。
つまり、企業内で不要になりかけている葉っぱを最後に華やかに飾ってやり、そして因果を含めて切り捨てる。
そして、冬が過ぎれば新しい葉をつけ、再び隆盛の時を作り出して行く。
それが企業のサイクルでもあるのではないか、と。
だが、昨今の企業、ここで言う最後を飾らせる力もないまま、いつまでも葉っぱをつけたまま衰退して行く。
確かに人をリストラする力は、並み大抵ではない。
企業に人を切る力がなければ、後はずるずると滅んで行くしかないのだ。
今の日本の政府も何となくそんな感じがする。
もっと早く、落としておかないといけなかった葉っぱがいつまでもくっついたまま、それに相変わらず水をやれ、栄養を送れという既得権主張論者たち。
これでは、青い芽の出る幕がない。
構造改革というのは、結局死ぬ為の力を持っているかどうかと関係がありそうな気がしてしかたがない。
プレスリーと言えば、「ラスベカス万才(Viva Las Vegas)」が当たったのか、その後「フロリダ万才」「カリフォルニア万才」「ハーレム万才」と続いたのにはあきれてしまった、原題とは全く関係ないタイトル、「?の若大将」と同じ扱いはないだろうと思ったものだ、安部邦雄