気を取り直して、昨日、本来書く予定だった話を。
1998年の紅白歌合戦でスマップが歌ったのが「夜空のムコウ」。
私は、ここ何年かまともに紅白を見たことがないので、初めて聞いたのが紅白だったのか、それともその後のスマップ特番(フジだったかな)で聞いたのが最初なのかよく覚えていない。
ただ、その年の紅白の司会は中井君で、そのためお台場のフジテレビに着くのが遅れ、最後にちょこっと出ただけだったという記憶がある。
ま、そういうハプニング的なこともあって、その時に歌った「夜空のムコウ」の印象が強いのだ。
おっと、ここで又記憶違いが発生。
「夜空のムコウ」は、1998年の1月にリリースされている。
確かにその年の暮の紅白でこの曲は歌われているが、フジの特番は97年のカウントダウン。
つまり、初めて聞いたのは、フジの特番であることが判明した。
ついでにいうと、中居君は97年、98年と司会を務めている。
以上、業務連絡でした。
さて、本題に戻ろう。
ひとことで言うと、この曲、私の中では相当点が高い。
素晴らしい詩なのだ。
あれから僕達は何かを信じてこれたかな?
そんなことを誰に問いかけるのだろう。
自問自答しているのだろうが、言葉に広がりが感じるのだ。
あの頃の未来に僕らは立っているのかな?
時間的なつながりをどこに求めればよいのだろう。
しかも、今ここにいる自分で本当によかったのだろうか、という自問自答。
長い間に色んな選択肢があったけど、今ここにいる自分が昔望んでいた自分で本当にあるのだろうか。
夜空のムコウには明日がもう待っている
自問自答するのは、個人の勝手。
その間も時間はどんどん過ぎてしまう。
それは希望でもあり、また滅びへの一里塚でもある。
この曲を初めて聞いた時は、心底感動した。
男性ボーカルによるコーラスもバランスよく、詩の内容に合致していると思った。
もちろん、その頃は作詞したスガシカオなど、知るよしもなかった。
ジャニーズ事務所のアイドル歌手には、常に座付き作家的存在が何人かいるので、その内の一人かなと思ったりしたのだが。
やはり、この曲の凄さは、あの短い詩の中に悠久の時間がとじこめられていることだ。
時間の広がり、空間の広がりに戸惑う人の心を描くのはそれほど簡単ではない。
とにかく、こんな詩を書いたスガシカオを褒めちぎりたいくらいだった。
で、そんなことを思いながら先程調べていたら、何とこの曲を作ったのは、川村結花だとか。
知らなかったなあ。
あの、事務所の社長にだまされて、ヘアヌードまで撮った元アイドルの彼女が作曲していたなんて。
え?
それは、大西結花だろ?
あ、そうか、川村結花か。
で、川村結花って、誰れ?(♪チャン、チャン)
さて、表題の「仕事のムコウ」の話だが、本当は昨日はここから格調の高い文章が連なっていたのだが、それが今は何も思い出せず。とほほ。
つまり、今から30年前、放送局に入り、社会人の第一歩を踏み出したのだが、それが何が何して何とやら。
あの頃の未来に、本当に私は立っているのだろうか、と思った次第。
最近、自分を顧みて恥ずることはないかとよく考えるのだが、どうもイイ材料は何も浮かばず。
命長ければ恥多し、なんて、まさに言い得て妙である。
人生には、恥が一列になって連なっているとでもいいましょうか。
今日の更新もその1つと言えなくもない。
仕事のムコウには一体何があったのだろうか、自分は果たして少しでも進歩したのだろうか、酒と泪と男と女が、妙に切ない年の暮、安部邦雄