今日から2003年の仕事開始。
そんな人たちがスーツと紳士コートを着て街を歩き回っている。
いわゆる新年の挨拶まわり。
営業マンなら恒例の行事である。
私も今から20年ぐらい前、正月になる度にやっていた。
挨拶回りって、結局何のためにするのかよくわからない。
私の意見としては、いずれにせよこの年も仕事をいただきにあがるわけで、でもどこかで「あけましておめでとうございます」を言わなければならないのなら、年明け早々に形だけは言っておこうという風に解釈している。
確かに、少し遅れて「おめでとうございます」はカッコ悪い。
先方は気にしていないかもしれないけど、気にしていないふりをして、本当はすごく気にするひともいるので、挨拶回りをやめるわけにはいかないのである。
商品を買ってもらうというのは、それほどナイーブなものなのである。
いい商品だから買ってもらえるんだというのも確かだけど、それにばかり頼っていては営業マンは勤まらない。
やはり、顔を出すこと、時間の共有があってこその売り手と買い手であることを忘れないことだ。
インターネットだったら、こんな鬱陶しい関係はないだろうと思う人もいるみたいだが、私は違うと思う。
それがネットであろうと、フェイスtoフェイスであろうと、モノを買ったり売ったりする関係はかわらない。
相手に会うのが苦手とか、人間嫌いとか言う人がいるが、モノを売るということは人間同士の関係を売ることでもあるのだ。
そうであるならば、新年の挨拶回りにも一片の合理性はあるのである。
別にそんなことしても、何もいいことないじゃんなんて思ってはいけない。
モノを売ることは関係を売ることだと知るならば、関係を維持することを優先するのは当たり前である。
商売とは人付き合いなのである。
人付き合いが嫌いでは、営業はできない。
自明のことではないだろうか。
私が営業マンだった頃、新年会社に出てすぐにすることは名刺に赤のスタンプで謹賀新年と入れることだった。
これを200?300枚持ち、得意先にばらまきに行くのだ。
一日に何十件と得意先を回る。
相手がいると、本当はとても困るのだ。
名刺を置いて回るだけだと時間はあまりかからないが、相手がいるとどうしても何だかんだと話をしないといけない。
何しろ、得意先は同じ場所に固まってはいない。
あっちへ行ったり、こっちへ行ったり。
優先しないといけない得意先もあるので、端から順々にというわけにはいかない。
新年はタクシーもつかまりにくかったし、道路も至る所で混んでいる。
しかも、季節は冬、とても寒い。
それに何故か、挨拶回りにコートを着て行くのは何事かと言われて、スーツだけで歩き回らないといけなかった。
こんな風習、やめりゃいいのにと何度思ったかしれない。
その頃と比べて多少でも挨拶回りの件数は減ったと言う話は聞くが、それでも街にスーツ姿のサラリーマンが目立つところを見ると、やはり根強く営業の世界では残っているのだろうなあ。
幸い、経営者になってからは、自分で色々挨拶回りをすることは義務ではなくなったが、残念ながらそういう挨拶回りを替わりにやってくれる人材も今の家来には見当たらない。
本当は、そういう人材が欲しいと思っているのだが、そんな風習は古いと若い連中は思いはじめているかもしれないなあ。
皆さんは挨拶回り、しましたか?
新年の挨拶回りというのは、昔は近所や親戚の家にも行くのが当たり前だった、子供はそれについていって、お年玉をもらったりしたものだが、今はこの風習はすたれたみたいだね、安部邦雄