昨日の予言を、来年携帯電話はなくなると解釈した方はいるのだろうか。
とりあえず強調しておくが、携帯電話がなくなることは考えられない。
携帯電話がトレンディでなくなるということを言いたいのだ。
つまり、今以上の機能は望まれていないし、新規の需要を新機能の搭載で喚起しようとしても無駄だと言っているのだ。
写メールは確かに便利だが、それを送ろうとしてはいけない。
動画なんて、もっとそうだ。
普通の生活していたら、わざわざ動画を送るなんて場面考えられるか?
携帯電話は通話とメール以外に使い勝手いいことなんてある?
ちょっとした情報には便利?
時刻表に天気予報に切符の手配、それに北欧では自動販売機も使える?
う?ん、だけど、本当に携帯電話にそんな機能付いていてほしいか?
何でも携帯電話があれば処理できるとなると、今度はその便利さがあだにはならないだろうか。
いわゆるセキュリティの問題だが、携帯電話ってどれぐらいセキュアな部分が考えられているのだろうか。
嬉しがって使っていると、何があるかわからないのでは。
電話会社も、電気メーカーもそういうリスクは絶対とってくれないだろう。
いわゆる利用者の責任ということになるはず。
ワン切りだとか、いたずら電話だとか、勝手に国際電話につながるとか、詐欺的な行為が後を断たないのに、彼等は基本的にはお客さま側で処理して下さいとしか言わない。
セキュリティなんて、考えていないに等しい。
それゆえ、何でも携帯電話でできる社会なんて、きわめてリスキーである。
そうは思わないだろうか。
ところで、先日テレビを見ていたら(テレビばかり見ていると誤解されるかな?)、現代の三種の神器と言って、自動食器洗い乾燥機。プラズマテレビ、カメラ付き携帯電話が紹介されていた。
出演者は、いやあどれも欲しいですねえ、なんて番組の趣旨にのった発言をしていたが、悪いけど、無理して買いたいものは私には一つもない。
大体、食器洗い乾燥機なんて、確かに水の節約にはなるのだろうが、電気洗濯機が果たした役割とはダンチである。
昔の三種の神器といわれた、電気洗濯機、電気冷蔵庫、テレビの果たした役割と、これらのものはその必要性の次元がまるっきり違うのだ。
無理してプラズマテレビなんて買いたいとは思わない。
ハイビジョンが何が何でも見たいとは思わない。
何故なら、これらは人とのつきあいに必ずしも必須ではないからだ。
それを持たないと、結局話題が共有出来ない、一緒に遊べないというのが、いわゆる神器なのである。
後に言われた3C、カー、クーラー、カラーテレビ。
最初の3種の神器ほどは、なくても困らないが、できれば家にあってほしいものである。
ある人が言っていた現代の三種の神器に、カーナビ・ケータイ・ノートパソコン、というのがあった。
まあ、トレンディな生活を望むものにはあった方がいいかな、という程度のものだ。
ファックス、パソコン、コピー機(プリンタ)なんてのもある。
サーバ、光ファイバ(ADSLでも可)、DVD、というのもありそうだ。
そうそう、暮らしの中になくてはならないものとして、他に電子レンジとか掃除機とか、最近ではウォシュレットというのも忘れてはならない。
炊飯器、ジャー、ポット、なんてのもあるね。
結局、三種の神器という打ち出し方でもいいし、3Cという言い方でもいいが、確かにお金を溜めてでも買いたいというものを作り出すことが大事なようだ。
今や、欲しいものはない、だから消費が伸びないというのは事実だ。
マイホームだって、買ったはいいが、結局ローンだけが残って四苦八苦という状況では、新規需要なんて考えたくもないだろう。
プラズマテレビなんて、普通はイラン!に決まっている。
家にはそんな余裕もスペースもない!
供給が需要以上に大きくなるからデフレになるそうだ。
で、今やっているのは、供給を減らすこと。
すなわちリストラ。
そうすると、ますます需要は減る。
仕方がないから、前以上にリストラして供給を減らす。
いわゆるデフレスパイラル。
はて?これは行きつくところまで行くしかないのかな?
ちなみに私は電子レンジを持っておりません、ホットプレートを持っておりません、誰か余ってたら頂戴、安部邦雄