前に、これからは環境に何かをプラスしていくのではなく、不快なものをマイナスしていくことが大事だ、と書いた。
で、またまた思った。
この考え方って、団塊の世代そのものだ。
団塊の世代が一番元気だったころ、新しいものが次々に生まれた。
都市空間は広がり、経済もビッグバンなどと言われて、無限に広がりを持つような錯覚に陥らせた。
そして、バブルは終った。
団塊の世代が作り続けたものは、既にバランスを失ってしまった。
何が必要で何が不要かも議論しないとわからないようになった。
若い頃って、すべては経験値を上げることばかり。
つまり、どんどん自分にプラスする時期だ。
壮年期は、増えるものと減るものがバランスしながら、空間がコスモスへと突き進む。
そして、老年期が始まった団塊の世代は、後は、プラスする要素は限定され、自然に減少して行くものの多さの中で次第に諦めて行くことになる。
もう何かをプラスすることで、新しい秩序を作るのではなく、不要なものをマイナスしていくことで、過去の栄光を懐かしみたいと思いかねない。
マイナス社会の訪れである。
マイナスすることは、確かに悪いことではないと思う。
都市設計の思想にオフバランスというものを考えるのも意義あることだと思っている。
ま、オフバランスなんて言うと、会社経営的な発想になってしまうけど。
しかし、本当に時代は団塊の世代とともに栄枯盛衰があるように見えるのは何故だろう。
私も最後の団塊の世代であるということも、そういう認識を持ちやすくなる原因かもしれない。
もう、こんなに食べれないよ。
後は、若い人たちだけで食べたら良いよ。
さあ、わしのような世代は、これからゆっくり寝させてもらうとするか。
あ、戸締まりと火の用心だけはちゃんとしておいてな。
そして、時代の夜は深まって行くのだろうか。
マイナス社会という夜の到来。
若い世代はそれでいいのだろうか。
バーチャルな世界で、昼を楽しむことができるからそれでいい?
本当にそんな仮想世界で納得できるのだろうか?
やっと落ち着きはじめたとおもったら、今度は花粉症らしきものが、外を自由に歩けなくなるのはとても嫌だ、そういうことで調子悪いので今日はこれぐらいにしといたるわ、安部邦雄