前に、私は人より自己防衛の意識が強いと書いた。
どこから、どんな敵がやってくるかわからない。
だから、なるだけ自分が行動不能にならないように、日頃から状況を把握するのを最優先すべきだと。
電車が通過するようなホームにいる時は、絶対後ろに人を立たせないとか、囲まれたら逃げ道がなくなるような場所へは、なるべく行かないとか。
どういう場合でも、最悪を考える。
そんなことを考えるのは、本当はぞっとしないことだ。
暗い気分になり、かえって自分の行動範囲を狭めてしまう可能性はあるが、それでも自己の破滅よりはましではないかと思う。
しかし、あんまり防衛意識ばかり持ち過ぎると、脳がオーバーランしかねないから気をつけないといけない。
やはり大事なのは、自分の中のバランスなのだ。
ところで、相手が集団である時、自分を守るのはそれほど簡単ではない。
相手が複数である場合は、たいてい彼等にはフォーメーションという概念がある。
役割分担し、ストレスが過度にひとりに集まらないようにしている。
フォーメーションで動く相手を敵に回すのはしんどいことだ。
ましてや、こちらがひとりだとすると、とてもじゃないが対抗出来ない。
サッカーなどを見ているとよくわかるのだが、一人のスーパースターの攻撃をつぶすには、徹頭徹尾フォーメーションで対応することだ。
相手がどれだけ強くとも、それが単独であるなら、フォーメーションの餌食になるだけである。
それほどフォーメーションというのは強いのだ。(吉岡道場が武蔵に負けたのは何故なのかな?)
これは、別に確固としたものである必要はない。
例えば、あなたが電話勧誘を受けたとしよう。
売らんかなで来る相手のフォーメーションに対抗しようとするのは愚の骨頂である。
相手にしないのが一番いい。
少しでも相手をすると、フォーメーションはそこから動き出す。
敵のフォーメーションがわからず、しかもこちらが一人だったとしたら、精神的にまいるのはこちらだ。
だから、相手が組織なら、こちらも組織で対抗しない限り、まず勝つのは難しいし、勝ったとしても精神的消耗度は相手の比ではない。
フォーメーションに対抗するには、フォーメーションしかないのだ。
集団を相手に一人で戦うなんてことは、バカのすること。
相手が烏合の衆なら、何とかできないこともないが、肉体的には大丈夫でも、精神的には相当傷つくことを忘れてはならない。
それで、思い出すのが映画やテレビのチャンバラ。
あれを、チャンバラという様式美として見るのなら別だが、本来あのような攻撃の仕方は非合理そのものである。
いくら運動能力が高い剣の達人でも、相手がフォーメーションで来られたら、まず勝つことなどできないはずだ。
ひとことで言えば、相手は達人の足だけを狙えばよいのである。
なまじっか、上半身を狙おうとするから、剣の餌食になる。
狙うのは徹底して足、別に剣を使う必要はない。
2?3人で足にしがみつけばよいのである。
考えてもみよ、人間が二本足で立つことがどれだけ不安定なことか。
人間が四つん這いになれば、攻撃能力がぐっと落ちるのは誰でもがわかることだ。
手が使えなくなれば、それで終わりである。
サッカーで相手を攻める時は足しか狙わない。
どれだけ訓練しても、足を狙われたらおしまいである。
ボブ・サップも一番の弱点は足を蹴られることだという。
怪力無双の弁慶も、弱点は向こう脛であった。
自分の力だけで、自分を守るというのはなかなか難しい。
集団にはできるだけ集団で対抗しないと結局は自分が消耗する。
連帯を求めて孤立をおそれず、なんて全共闘運動のスローガンがあったが、孤立しちゃやっぱりおしまいなのだ。
全共闘運動が破綻したのも、そういうところに一因があったのかもしれないね。
仕事に振り回されるな、仕事を振り回せなんてサラリーマンの処世訓もあったなあ、電通の鬼の十訓では、周囲を引きずり廻せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地の差が出来る、というのもあった、はて、今日の話と何の関係が、安部邦雄