家を出て、しばらく何か忘れ物をしてないかなあと考えながら駅への道を歩く。
今日は、慌ただしく家を出た為、ゆっくり確認する時間がなかった。
こういう時は、えてして何かを忘れているものだ。
で、はっと気づく。
いかん、メガネを鏡の前に置いて来た。
私は近眼ではないが、少し乱視気味で老眼気味。
メガネは前から持っていて、暗いところで字を読む時以外はあまり使っていなかったのだが、昨年ぐらいからメガネをしていないとどうも目が重い。
メガネをすると少しは楽になるので、自然と手放せなくなった。
最近、メガネをしなくても、それほど目が重くなくなった。
で、つい忘れてしまうのだ。
でも、いつ何時、目が重くなるかわからないので、手許にないと何か不安。
今来た道をとぼとぼと帰る。
家でメガネをかけ直し、戻って来た道を歩いて電車に乗りこみ、そして気づく。
いかん、会社の鍵を忘れた。
別の服に入れてあったのを、取出して、ポケットに入れようとしたことは覚えているのだが、それ以上は記憶がない。
私の今のポケットには鍵は入っていない。
これじゃあ、会社に行っても入れないと思い、途中で電車を降り、引き返す。
鍵は、フロアーの上に無造作に置かれていた。
服から取出して、そこで作業をやめてしまったという感じ。
そう、最近の特徴。
作業が2つあれば、どちらかを忘れる可能性が高くなったということだ。
服から鍵を取出す、そしてその鍵を今日着て行く服に入れる。
これらは、流れ作業でやると一連の行為になるはずなのだが、私の場合、最初の取出したところで、流れが切れてしまうのである。
人間というのは、こういうように複合した作業を一連の流れの中で処理するということができる動物だ。
しかし、その流れがどこかで少しでも途切れると、後半の作業が孤立してしまう。
そうすると、他に優先することができると、簡単にこの作業を忘れてしまう。
つまり、最近の私、年をとったせいか、一連の行為をしようという意志の持続性が落ちているのである。
そのため、今日のような無駄な作業がかえって増えてしまうというわけ。
困ったことだ。
本当にね。
ま、精神的に疲れているということもあるのだろう。
今日は、早く家に戻って、ワインでも飲みながらゆっくりしよう。
くよくよ考えてもしかたがないわなあ。
表のドアを開けて外に出て、ふと気づく、あれ?何しに出て来たのかな?仕方がないから元へ戻ってしばらく、その前に何を考えていたのかを思い出そうとする、これが思い出せない、そして結局表に出た理由もわからないまま、時が過ぎてゆく、そのうちそんなことがあったことも忘れる、ああ!本当にこれでいいのか、安部邦雄