順番が来る迄、ここでお待ち下さいというのが待合室。
一番イメージできるのが、病院などの待合室だろう。
待合室って、どうも負のイメージがつきまとう。
そこは、私自身が望んで待っている場所ではないからだ。
待てというのは、病院側なのである。
早く診察してもらって、早く帰りたいに決まっているからだ。
待合室というのは、他にも、何らかのサービスを受けるような場所にはたいてい用意されている。
行列して、ずっと立っているよりはましかもしれないが、サービスを受けにきているわけだから、待合室に座っていることにプラスのイメージなんて持てるはずがない。
何しろ、手持ち無沙汰だし、自分の順番がいつ来るかわからないから、その場を離れるわけにもいかない。
何て不条理な場所なんだろう。
でも、例えば、その日することがそれだけだとしたら、又、一緒に待っている人たちが顔見知りで、何だかんだと世間話ができたとしたら。
待つことが、とても重要な要素になってくる。
サービスを受けることよりも、待合室にいることが大事になって来る。
開業医の待合室にいるお年寄りなどは、ひょっとしたら待合室はプラスイメージなのかもしれない。
家に帰っても孤独だったら、待合室に行くことをどれだけ楽しみにするかわからない。
会社も、ひょっとしたらサラリーマンにとっては待合室的な要素もあるのではないだろうか。
給料というサービスを受ける為に、毎日会社という待合室に行き、ただじっとしていて、1ヶ月に1回、給料をもらう。
あるものには苦行だが、あるもには会社に行くことが楽しみになる。(会社が終った後の一杯が楽しみというか)
快適な待合室、それが会社?
そういえば、喫煙室に屯する姿なんか待合室そのものだが。
人生もまた待合室なのかもしれない。
人間、理屈をつけて色んなことをやっているが、所詮、死ぬのを待っているだけとも言える。
そんな順番は来てほしくないとは思うが、そのうち、あのドアが開いて、「?さん、どうぞお入り下さ?い」と言われるのだろう。
その時、うろたえるか、それとも悠然としてドアの中に入っていけるか。
サービスの中味がわからない以上、不安でいるのは当たり前だとは思うが。
やだねったら、やだね。
関西人は、ラーメンを並んでまでも食べたくない人が多いらしい、それなら並ばなくともいい蕎麦屋にするとか、でも、何故ラーメン屋は並ぶのが当たり前なのに、蕎麦屋で並ぶなんてありえないのだろう、昼を蕎麦ですますという言い方はあっても、ラーメンですますとは言わない、ラーメンって以外とステータスの高い食べ物かも、安部邦雄