齢も50才を過ぎると、いきなり老後のことが気にかかるようになるようだ。
少し前まで、人生50年なんて言っていたし、50才で定年なんて話もよく聞いた。
平均寿命を見てみると、昭和30年頃で男63才、女67才だった。
今では、男78才、女85才だ。
15年以上伸びている。
長寿はめでたいことなのだが、これではますます老後の時間が増えて行くことになる。
一体、老人は何をすればよいのか。
前は、会社を定年になっても10年ほどで死んでしまったわけだが、今では20年近くも生きていないといけない。
しかも、年々第一次産業人口は減っているわけだから、死ぬまで生産に従事するお年寄りも減る一方なのである。
ヒマを持て余す老人が一杯出て来る、これからの日本。
団塊の世代がどっと老後を迎えはじめるなんて、ゾッとしない光景ではあるまいか。(私もその一人だが)
ある調査によると、ゆとりを持って老後を暮らせるだろうと答えた人は、何と6割もいるんだそうだ。
一体、みんなどれだけ金を溜め込んでいるのだろう。
私なんか、とてもじゃないがゆとりある老後なんか無理だ。
貯金は使い果たしたし、たよりは厚生年金だけ。
老後は、遊び呆けたキリギリスよろしく、どこかの蟻さんに養ってもらうしかない。
清貧に甘んじるのは覚悟の上、蟻さん、どうか見捨てないでね。
しかし、平均寿命78才と言われたら、ちょっと考えてしまう。
まだ四半世紀も残っている。
身体、もつんだろうか?
え?そりゃ、もつから生きているんだろう?
むしろ、頭の方が大丈夫かが気になる、う?ん、そうかもしれないなあ。
身体は、まだ運動とかちゃんとやって、健康診断もこまめにやっとけば、何とかなるかもしれない。
しかし、頭の方はどうなのだろう。
頑固で、フレキシビリティがなくて、どんどん物忘れをして、それでいて金に執着したりして、、、
名誉や地位なんてのも執着の対象、いわゆる老害というやつだ。
老人会の会長とか副会長とか言う人、一度なったらなかなかやめない、と世話役の人がぼやいていた。
身体はよぼよぼ、話す内容も何を言っているのかわかりにくいのに、会長の座だけは絶対に渡そうとしない。
それでいて、権力への執着心だけは人一倍ある。
頭が早くぼけてくれればいいのに、こういう人に限っていつまでも正常。
結局、人間が生きるには、この執着心というのが大事なのかもしれない。
悟ってしまうと、生きていることもどうでもよくなる。
何としても生きてやろうとは思わなくなる。
だから、善人はどうしても早死にする。
ええと、ということは、私はやっぱり早死にするのかなあ。
でも、何か執着心も、人一倍あるような気がしないでもないし、はて、実のところ私はどうなんでしょう。
老後の問題より、いつまで生きれるのかが気になって仕方がない、今日この頃でおます。
わが家系はやや長寿のようで、80才以下で死んだ親戚はあまりいない、社会保障が行き届いた国だと、何かとても楽しい老後が暮らせるような気もするんだが、日本はどうかな、安部邦雄