昨日は、不覚であった。
同窓会があったとはいえ、更新を失念するほど酔い、眠ってしまった。
昨年、初めて開催し、今年はその第二回目。
参加者もぐっと増えた。
30年ぶりに会う人も多く、この長い時間をお互いつぶしあう作業で大変だった。
80人中、物故者は2人という報告もなされた。
これはいいことなのか、悪いことなのか。
高校の同窓会も、大学の同窓会も、自分が生きていた時代を再認識するには絶好の機会である。
痛感するのだが、私、若い頃の記憶があまりにも片寄っている。
ほんの一時期の記憶だけが集約され、それ以外の時期は、記憶が断片化して、カオス化している。
あの時はああだったとか、こうだったとか言われても、全然覚えていないというしかないことの多さ。
まあ、年令の所為もある。
記憶の断片を整理して、再構成する必要性にかられなかったのだ。
何しろ、高校も大学も30年という時間の向こうに置いたままだった。
一部の仲間とはつきあうことはあっても、過去を懐かしむというのはほとんどなかった。
でも、同窓会であう連中は、まず30年の時間の向こうに戻った時間からはじめないといけない。
ええと、30年前というと、どういう時代だったっけ。
言葉をかわしあっても、何となくもどかしい。
うまく、お互いの昔に戻れない。
お互い大人、話はかみあわなくとも、適当に話の接ぎ穂ができる。
しかし、結局完全には30年前には戻れず、つい酒を飲み過ぎ、後はプリミティブな戯れ言に終わる。
同窓会で語ることは、今なのか、過去なのか。
学校に戻り、自分たちの教室に入って、みんな適当に座る。
本当は、そこから同窓会がはじまるのではないかと思わないでもない。
担任の先生もお呼びし、出席をとってもらう。
安部君?、はーい。
そこでやっと僕たちは、過去からスタートできる。
そんなことを思いながら、ワインをしこたま飲んでしまった。
高い、二次会になってしまった。みなさん、ごめんなさい。
女性の半分が一時は働いたが、今は専業主婦やっていると言う、主人が、主人が、というのも可笑しい、まだ私たちの世代は古風な面を一杯残していると言うことかも、安部邦雄