心が弱くなった時、口につくのがこのセリフ。
帰ろかな。
帰るってどこへ?
帰るところがあるのか?
わからないが、北島三郎の歌にもあるように、何となくなのである。
都会に疲れた身体と心、それを癒すのがふるさと。
だから、帰ろかな、帰るのよそうかな。
逡巡する気持ちはわかる。
帰りたいのは、何の屈託もなく生きることができた時代へだ。
戻ったところで、昔のような気持ちが又甦るかどうか。
都会というか、今というか、とても辛いのだ。
それは、人間が自立する過程で誰でも通るしかない苦痛なのかもしれない。
その苦痛を克服してこそ、悔いのない人生と言える。
逃げてばかりでは、後悔ばかりの一生になる。
帰ろかなは、逃げであってはいけないわけだ。
とはいえ、自分が挫けそうになった時、ひととき逃げ込める場所はあった方がいい。
人間は、簡単に煮詰まるものだ。
そんなに強い人間はいない。
何度も言うが、人間なんてとても脆い存在なのだ。
無理して生きるのは、百害あって一理なし。
休む時には休む。
一定以上の無理はしない。
山より大きな猪は出ない。
牛ほど大きい蛙なんて存在しない。
あるがまま、なすがまま。(キュウリがパパ?)
今日も雨が降り続く。
梅雨らしい梅雨と前に書いたが、今年はそれ以上だ。
雨が強くならない内に、早くお家へ、、帰ろかな。
「帰ろかな」はNHKの歌謡バラエティ「夢であいましょう」の今月の歌だった、昭和39年12月のこと、中学生だった私にもそのフレーズは心にしみた、上野駅ってそんな悲しみがとても充満していたんだろうなあ、上野はおいらの心の駅だ?、って関西人関係ないやん、安部邦雄