何年も土の中にいて、やっと地上に出れるなあと思った頃、異常な涼しさ。
こりゃあ、まだ早いのかなと思っていたら、いきなり太陽がカーと照って、それ夏だと羽化。
ところが、今度はとんでもない雨。
身体中びちゃびちゃ。
鳴く余裕すらないまま、蝉の時間は過ぎて行く。
え?蝉の生活って、この程度のものだったの?
違和感を感じながら、今日も雨に耐えていることだろう。
御苦労さん、運が悪かったとあきらめたまえ。
そうなんだよね。
人間だって、運と災難はつきもの。
私も会社勤めしていたころは、まあまあ運に恵まれていた。
そこそこの収入、そこそこの地位。
独立してから、紆余曲折。
なけなしの収入、形ばかりの地位。
じゃあ、会社時代が文句無しに良いかというと、これはこれで不満も多かった。
誰でも一度は、こんな会社やめてやる!と思ったことだろう。
理由は様々だが、精神的にその環境にいることが耐えられない、という気になる。
独立すると、環境に耐えられない、ということはない。
何故なら、自分の力でその環境は変えようと思えば変えられるからだ。
ただし、変えるのは簡単ではない。
怠けていれば、とても変えることなんかできない。
己の無能力さに、情けなさは増すばかりとなる。
これなら、会社員のまま、不平不満をグチグチ言いながらいたほうがよかった。
毎日毎日、いやだいやだと思いながら、会社に通っていた方がよかった。
そうかな?
蝉の災難と最初に書いたが、別に蝉にとっては、それがすべてなのだ。
違う環境や、違う生活など、考えることもない。
自分の仕事を精一杯して、後は自然の摂理で死んで行くだけだ。
何が不満、何が悲しい。
今の環境で精一杯やる、人間だってそうすればいいのだ。
人間だから、無理して自分の能力以上のことをしようとする。
でも、これだけは自覚しないと。
川の流れまでは変えられないんだと。
何か又、いつもの結論になってしまった。
でも、最近の私、こういう戒めを日々課しておかないと、選択を間違えそうな気がして仕方がないのだ。
蝉を見ても、カラスを見ても、自戒すべきことは山のようにある。
午前中、あ、今日はこのことについて書いてみよう、と決めたりするのだが、夕方になって、さて書こうとすると、何も思い出せないというのが日課のようになっている、記憶の精度が落ちているというか、諦めるしかないのかな、安部邦雄