台風、昔は野分(のわき)と呼んだ。
今では、台風が単なる自然現象で、発生のメカニズムも今後の進路もだいたいわかるようになっている。
だから、現代人は、NHKの台風情報を見ながら、「大変だなあ」と無責任に見ていられる。
昔の人、本当に怖かっただろうなあ。
自然の猛威って、普通は見当がつかない。
毎年必ずとんでもない台風が来るわけでもないから、経験則だけでは自ずと限界がある。
第一、理由がまるでわからないのだから。
昔の人には、自然で起こることはすべて脅威だったろう。
雷、地震、竜巻、津波。
雪が降ることさえ、風流と言いながら、どこか不安な面もあったのだろう。
仕方がないから、すべて神様のせいにした。
すべての自然現象の上に神を置き、その神を祭って不安な心を慰めたのだろう。
自然が身近に感じられたから、当然ながら神という存在も日々の生活の中に一緒に存在したのだろう。
今のように、不安を起こすような自然現象を科学という理屈で解釈できるようになり、神の存在も遠のいてしまったということだろう。
現代人にとって、神って、何のために存在するのだろうか。
現代人の不安って、何?
辛うじて、地震ぐらいか不安に思うのは。
とにかく、NHKのテレビを見さえすれば、そこそこ不安は取り除かれたりする。
NHKは現代の神かもしれないな。
しかし、現代人の不安と昔の人の不安って、微妙に違うのだろうと思うが、どうもうまくイメージできない。
多くの不安の中にいるのと、少しの不安の中にいるのとではどれだけの違いがある?
例えば、戦争の中にいる人の不安なんて、100%理解出来ない。
大変なんだろうな、と思うだけだ。
戦火の下にいる人にとっては、神は当然必要になってくるのだろう。
戦争に神社はつきものかも。
だから、靖国神社が必要だったのかもしれない。
さて、立秋を迎え、これからは残暑。
どうも、米のできもやばそうである。
私の中の不安は、秋に向かってこれからも増大することになるだろう。
神はいずこ?
自分だけではとても耐えられない、襲いかかる不安の数々。
風立ちぬ、いざ生きめやも!
昨日は焼酎が相当きいていたらしく、書いた内容のことにあまり覚えがない、酔っていてもそこそこの文章は書けるということかも、酒飲んでも車の運転ぐらいできるというのに似ている、はて、それでいいのか?安部邦雄