サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ?♪
そんなフレーズがつい口をついてしまった。
サラリーマンというのは、気楽な稼業か?
私も20年あまりサラリーマンだった。
今は経営者という立場だが、その差は確かに大きい。
雇われ社長とか、サラリーマン重役とかいうのもあるが、これらは意識としてはサラリーマンに近いだろう。
経営者というのは、明日の資金繰りに常に危機感を持っている。
サラリーマンは、金は何とかなると思っている。
何とかならなくとも、私のせいではない。
二日酔いでも、寝ぼけていても、タイムレコード、がちゃんと押せば、どうにかカッコがつくものさ?ちょっこらちょいとパーにはなりゃしない?♪
植木等の「ドント節」である。
確かに私もそんなサラリーマン生活だった。
でも、正直、大学時代にはサラリーマンになりたいとは少しも思わなかったのは事実である。
私の第一希望は、学究生活であった。
つまり、一生ひとりの研究者でありたかったのだ。
自分の時間を切り売りして、毎日会社に通う等ということは夢想だにしなかった。
会社のために自分の人生を捧げるなんて、願い下げ。
当時は独占資本を悪者扱いしていた頃で、会社勤めなぞ二重に犯罪的だという連中もたくさんいた。
会社員になるなら、公務員か教師になる。
まるで、鶏口となるとも牛後となるなかれ、みたいな精神で会社を忌避していた時代。
私もそんな連中の一人だった。
組織の歯車になるのも嫌、くだらないヒエラルキーに組み込まれるのも嫌。出世競争のような不毛な争いに巻き込まれるのも嫌。
朝9時に出社し、5時に帰る生活なんてくそくらえ。
そう思っていたのに、何の因果か1974年、サラリーマンの一人になってしまった。
マスコミだから、放送局だから、ちょっとは違うだろう。(実際は何も違いはしなかったが)
そう正当化して、サラリーマン。
何とそれから20年、どっぷりとその世界につかってしまった。
この偽善者め。
だけど、今だから言えるが、サラリーマンって、慣れてしまうと楽な商売だ。
乞食は3日したらやめられない、というが、サラリーマンも同じ。
世の中の人もサラリーマンを悪者扱いなど絶対にしない。
信用力もあるし、自営業者よりもはるかに尊重されている。
サラリーマンは結構な身分だと羨ましがられたりしている。
しかしなあ、サラリーマンって、結局自立できないんだよなあ。
自己表現の場なんてほとんど与えられないし、どちらかというと忍従の日々なんてことになりかねない。
自分が正しいと思ったことだけを人はやりたがるのだが、サラリーマンはそうはいかない。
間違っていること、やっても無駄だと思っていること、精神的に辛いこと、社命とあらば何でもやらないといけない。
やりたくないなら、会社をやめろ!
そう言われると、たいていはシュン。
後は、居酒屋で、同僚と酒を飲んでは、上司の悪口、会社の不平不満。
ちっくしょうー、オレを誰だと思ってやがんだ?
自己表現の場って、サラリーマンには本当にない。
人間って、常に自己表現をしたいと思っているはず。
おれはこんなことを考え、こんなことを作っていると。
サラリーマンは、その世界にはまり込めばはまり込むほど、何も作らず、何も考えなくなる。
それが?男の生きる道?♪、か?
さて、今のあなたはどうだろうか?
長くなるので、この話はこれぐらいで、さて、これからの日本、今のサラリーマンの意識構造をどうするか?重要な課題だと私は思うのだが、安部邦雄