悠々自適ということとも重なるが、等身大で生きるということも私の望みの一つである。
別に自分を誇大に見せて生きているというわけでもないのだが、心のどこかで、私はこんなに偉そうに自分を語る資格はないのではないかと思うのだ。
肩の力を抜くというか、自分のできることだけを愚直にやるとか、何でもかんでもやる気になればできるんだと思って生きるのは辛くないだろうか。
楽な生き方をしたいというわけではなく、無理な生き方をしないということかもしれない。
イソップ童話で、牛を見た蛙の子供が牛を見たことがないお母さん蛙にその大きさの話をし、お母さん蛙は、そいつの大きさはこれくらいかい?と言いながらどんどんお腹を膨らませていくという話がある。
最後はお母さん蛙のお腹はパンクしたという結末だったと覚えているが、善意とはいえ、自分にできないことはするべきではないということだ。
今後どういうことが起きるのか、全体の状況が見えないにも関わらず、自分なら何とかなるだろうというだけで事を起こすのは危険と言えば危険だ。
等身大の生き方というのは、自分が危険に陥らない範囲でチャレンジすることを覚えることだと思う。
等身大で人は少しずつ進歩すべき存在だと私は信ずるからだ。
それで行くと、最近の私、少々無理しすぎの嫌いがなくもない。
休む時は休み、出来ないことは出来ないと言おう。
本当に、最近腹が膨れてきて仕方がない。
というか、頭の中が一杯一杯なんですね、水が一杯入ったボウルを持って駆け出しているというか、正直だれか代わりに持っていてと叫びたくなる、安部邦雄