前から行くように進められていた大阪市立近代美術館の「モダニズム心斎橋」展に顔を出してきた。
大阪の音楽史をまとめようとするなら、一度は覗いておけとのことだったが、その面ではあまり参考にならず。
音楽史と重なるところは殆どなかったというか。
ただ、色々勉強にはなった。
堀江というのは、西横堀を起点とする川の名前だったということを認識した。
そういえば、そういう名前だよね。
会場に、ミナミに昔からすんでいるお年よりの方が見に来られていて、自分の子供の頃はああだった、こうだったと説明されていた。
へえ?と感心することしきり。
町の生き字引はどこにでもいるものだ。
私の子供の頃には、まだこのあたりに何とかがあって、またこのあたりには、まだ川があって云々。
大阪というのは、本当に川だらけだったんですねというと、川というか堀というものが至るところにあったのだとか。
変わりに変わってしまった今の大阪を見て、何を思うのだろうか。
時間がなかったので、それ以上の話ができなかったのが残念である。
で、今日心から思ったこと。
ついこの間まで、大阪には一線級のアーチストが一杯いたということ。
それを育てる篤志家も一杯いたこと。
いつのまにか、その土壌は失われ、今や大阪は単なる文化の受信者になってしまったこと。
発信するものはいるが、その人が一流になれば大阪にはいられなくなることなど。
どうしたらいいのだろう。
少し考えてみないといけない。
クリスタ長堀を歩く、ここも大阪市の大赤字の事業らしい、あたりまえの店がただ並んでいるだけでは、わざわざ来る人もなかろうと思った次第、コンセプトが借り物では文化は生まれないと思うべきだ、安部邦雄