いくら口で立派なことを言っても、行動が伴わなければ結局バカにされるのが人間社会。
オレはこんなことをやりたいんだ、もし、オレがこうなったら、絶対こうするんだ。
そんな言葉を吐いて、悦に入っている連中も多い。
やりたいなら、早くやれ。
理屈はわかったから、その通り実践してみろ。
世の中には評論家が人間の数だけいると思った方が気楽でいい。
評論家なんか、いざと言う時、役に立たん存在だということだ。
私も、自分が経営者という立場を意識するようになってから、評論家的な部分は減ったのは事実だ。
理屈はいい、どうやったら金が儲かるのか、考えられなければ経営者失格だ。
だから、他人の脳からひねり出したような話は批判するが、他人が実践しようとしていることには、それ自体を批判するということはほとんどなくなった。
動かなければ事態は変わらない。
自分の考えを述べることで、それで相手が動いてくれるだろうと勝手に期待する連中は思いきり非難したい気分でいる。
押さなければ扉は開かない。
オカルトじゃあるまいし、言葉や脳のエネルギーだけで、扉が動いたりするものか。
とにかく、口ばかりで、結局言った通りにできない連中をイヤというほど見てきた。
弱いものには強気なくせに、強いものにはトコトン卑屈な連中。
悲しいかな、本人も、そのカッコ悪さを自覚しているのだ。
だから、自分に対して批判的な人間を許せなくなる。
オレは常にかっこいい人間だ、それがオレの理想であり、目標なのだ。
でも、突っ張れば突っ張るほど、人間のカッコ悪さは増幅される。
あげく、精神的なバランスを失い、あるものは鬱病に、あるものはアルコール依存症に。
人間なんて、元々かっこいいものではない、と思えばどれだけ楽なのにと思えど、いつの間にか心の中で育ったプライドがカッコ悪さを許せないのだ。
人間は、なんてカッコ悪いんだろう。
人間は、なんて悲しいんだろう。
なのに、何故今日も、自分を着飾り、街に出かけるのだろう。
見てもらいたいの?
わかってもらいたいの?
自分の夢見るカッコよさを。
その裏に潜む、あんた自身の醜さを。
今の人々の目標て何なのか、マイホームを持つこと?会社で出世すること?でも、もうそんな目標では誰も夢を持てなくなったね、心から打ち込めるような何か、それがないと嘆く人々は増える一方かも、どうしたらいいのかな、安部邦雄