明日から一週間、何の予定も立っていない。
どこに行かなければいけないということもなく、何かをしたければ一からプランを考えて自分の行動を決めないといけない。
ルーチンワークもないから、下手をしたら何もしなくても一週間が過ぎてしまう。
何もしなければ、会社的には首が絞まるが、自分的にはそれでもいいような気がする。
思えば、サラリーマンは楽だ。
毎日やることが事前に決まっていて、それに積極的に参加するかさぼるかという選択肢があった。
今の私には、そんな決まった選択肢はないに等しい。
好きなように生きればいい。
ただし、何もなければ結局餓死するだけなのだ。
経営者には、すべてが自己責任。
誰かが選択肢をお膳立てしてくれていて、そこから選ぶだけで済むわけでもない。
ま、世にはそんな経営者もいるのだろうが、そんなのはお飾り経営者、サラリーマン社長。
仕事の指示はできても、その仕事の基本を作るのはマネジメント、つまり経営者の義務なのである。
大企業はまだいい。
大体の仕事は、自動的に決まってしまう。
零細企業となると、もう毎日が大変。
特に、こんな金が回らない時代、どこかで嵐でも起きれば我が船はひとたまりもない。
汲みおいた水が、補給されることもなく毎日少しずつ減って行く恐怖もある。
陸地も見えなければ、雨が降る徴候もなし。
どうする、進路を変えるか?それともこのまま進むか?
明日からの私のスケジュールは白紙のままだ。
さて、進路をどうとればいいのか。
目の前に広がるのは、どこまでも青い海だけなのだから。
先日亡くなった友人の弔問に行った、遺骨にしか出会えない寂しさ、ほほえむ写真の中の友はもはや何も語らない、54年間の彼の蓄積はいとも簡単に死神に切り取られてしまった、賽の河原の石こ積みそものだ、安部邦雄