引越後遺症とでも言うのだろうか、どうも日常性みたいなものを取り戻せていない気分だ。
具体的には、どうも落ち着かない。
落ち着いて何かをしようという感じではなく、あれもやらないと、これもやらないとと思いながら、それらのプライオリティをどうやっていいのかわからないというか。
やることが輻湊すると、誰でもそうなるとは思うのだが。
私が日常を取り戻すのはいつのことか。
それまでは、この欄が日記化するのは仕方がないのかもしれない。
昨日、飛行機のことを書いた。
今日は日航123便の悲劇の日でもある。
その頃は、2週間に1回、飛行機で東阪の間を行き来していた。
朝の飛行機で東京へ出発し、夕方の便で大阪へ戻る。
一泊するよりも、日帰りの方が絶対に精神的にいい、と思い出してから、東京のホテルに泊まるということは滅多になくなった。
ホテルで眠るんだったら、家に戻って寝た方が疲れがとれる。
第一、東京に泊まっても少しも面白くない。
そんなスタイルが自分の中に定着していたころ、起きたのが日航機の墜落である。
他人事ではない、自分にだってその可能性があった。
次の日だったか、私はキャンセルする勇気がなく、そのまま日航機で羽田へと向かった。
富士山のそばまで来て、何ごともなければよいが、と思ったりした。
霊が呼ぶ、なんて不吉なことを考えていたからだ。
緊張している機内に、いきなり機長のアナウンスが響いた。
こちらは機長です。
今、皆様に本当に御心配をかけております。
事故の原因は現在鋭意調査中です。
今後私ども、皆様の御期待にそえるよう安全運行に務め、使命を全うして行く決意でございます。
引き続き、日本航空をよろしくお願いします。
余計なことを言うな、という空気がただよう。
今、そんな話題を持出すな、みんな忘れようとしているのに。
飛行機はやがて、羽田へのランディングに入る。
キッという音とともに着地。
ゴーといううなりを上げて減速に入る。
そして停止。
ふ?という大きなため息が機内から聞こえてくる。
あ?よかった?。
あれから19年。
思い出は消えることなく、続いて行く。
あの悲劇で亡くなった人の中に知人が何人かいた、遺族の人たちはどうしているのだろうと時々思う、夏の御巣鷹、冬の阪神大震災、安部邦雄